「虫嫌いだった」女性が東京で就農、英語武器に
「東京NEO―FARMERS(ネオファーマーズ)!」の支援受け
東京の西部地区で続々と新規就農者が誕生している。名前は「東京NEO―FARMERS(ネオファーマーズ)!」。彼らに共通しているのは、東京都農業会議の松沢龍人さんのサポートで研修先を見つけたり、畑を確保したりして就農した点にある。
農業に限らないだろうが、単に制度があればうまくいくのではなく、関係する誰かが苦労を厭わず尽力しないと、物事が動き出さないことが少なくない。とくに、東京という新規就農の前例がなかった場所ではなおさらだ。
第1号は、松沢さんの支援で2009年に農業を始めた井垣貴洋さんだ。その後、東京での就農を目指し、若者たちが続々と松沢さんのもとを訪ねるようになった。今回はそのうち、東京都瑞穂町で就農した2人の女性を紹介したい。
あらかじめ触れておくと、東京ネオファーマーズという名前はあるが、共同で資材を仕入れたり、出荷したりしている農業グループではない。松沢さんのあっせんで就農したことが最大の共通項で、あとは月に1回開かれる懇親会に参加することぐらい。農作業が忙しく、懇親会に出席できない人もいる。
それでも、彼らの多くが「自分はネオファーマーズの一員」と感じているのは、骨身を惜しまない松沢さんのサポートへの感謝の気持ちがあるからだ。そのことが彼らの一体感や仲間意識を強く支えている。
東京の新規就農を支援する東京都農業会議の松沢龍人さん
そのうちの1人、デュラント安都江さんは、今年春に就農した。姓が英語なのは、夫のデュラント・キャメロンさんがオーストラリア出身だからだ。借りている畑は瑞穂町とその隣接地域で、合計40アール。ケールやジャガイモ、ナス、トウガラシ、ピーナツなど様々な作物を育てている。
大学を出たあと、最初はカメラの販売チェーンに就職した。だが20代半ばにワーキングホリデーでイギリスに行き、外の世界を見て「人生楽しい」と実感した。外国語でコミュニケーションする喜びをこのとき知った。
英語力を農業にいかすデュラント安都江さん(東京都瑞穂町)
「土も虫も嫌いだった」
帰国すると、英語力をいかして貿易会社に再就職した。そこでお金を貯め、次はフランスに渡って、「WWOOF(ウーフ)」に参加した。有機農業を手がける農家などと生活をともにし、農作業を手伝ったりする活動だ。
デュラントさんはもともと「土も虫も嫌いだった」という。しかも、手伝いに行った先は農家ではなく、スペインとの国境にある木こりを仕事にしている家だった。デュラントさんの仕事は家族の一員として、食事を作ったり、掃除をしたりするなど、もっぱら家事の手伝いが中心。ここでの暮らしは、とても楽しいものだったという。
結果的にこのときの経験が彼女を農業にいざなうことになる。馬の世話をしているうち、「馬ふんが臭いのは平気。ハエがぶんぶん飛んでいても気にならない」という自分に気づいたことがきっかけだった。のんびりした田舎生活の楽しさも知った。「わたし農業できるかも」と思い始めた。
帰国したあとも、日本でウーフの活動に参加し、自分と同じ年の女性のもとを訪れた。20代半ばに1人で山梨で就農した女性で、テレビに出たこともあるなどそれなりに有名な人だった。ところが会ってみると、相手が語った言葉は「10年農業やってきたけど、疲れたのでもう辞めます。結婚して、うどん屋のおかみさんとして生きていきます」。すでに離農を決めていた。
ここで、「なら自分も農業をやってみよう」と思ったことが、彼女のユニークなところだ。「10年たって疲れたら、辞めてもいいんだ。もし辞めても、自分には英語がある」。そのとき彼女はそう思ったという。
言うまでもなく、いずれ辞めるつもりで農業を始めたわけではない。ただ、「退路を断って悲壮な覚悟で」ではない気安さが、心理的なハードルを下げてくれた。農家の中には「甘い」と感じる人もいるかもしれないが、ふつうの職業の選択なら、転職を認めない「決死の覚悟」のほうが珍しい。というより、そもそも多くの農家が、自分の田畑を人に貸すという形で、農作業から「撤退」している。
フランスの「木こりのおじさん」の家にステイしたことが就農のきっかけになった(東京都瑞穂町)
就農先に東京を選んだのは、英語の先生をしている夫のことを考えたからだ。英会話教室で働くには、子どもの教育にお金をかける都会に近いほうが有利。いったん国分寺市に住み、援農ボランティアなどをやったあと、就農を決意した。松沢さんを訪ねたのは、ネオファーマーズを紹介したテレビ番組を見たのがきっかけだった。松沢さんの紹介で農家で研修したあと、瑞穂町で就農した。
野菜の売り先は、地元の直売所やホームセンター、仲卸など。特筆すべきは、就農した瑞穂町に米軍の横田基地があったことだ。フェースブックやインスタグラムに「横田基地の近くで畑をやってます」と英語で書き込んでいるうち、基地で働く軍人の奥さんなどが畑を訪ねて来るようになった。
見出した独自路線
彼女たちの悩みは「無農薬で作った新鮮な野菜がなかなか見つからない」ということだった。そんなニーズに、デュラントさんの作った野菜が応えた。彼女たちが欲しがったのは、紫色のジャガイモなど、日本人がちょっと手を出さないカラフルな色の野菜や、メキシコ料理に使うハラペーニョなどだった。他の新規就農者とは違う、独自路線が見えてきた。
もちろん、就農1年目で栽培がすべてうまくいったわけではない。ケールが虫に食われて出荷できなくなったり、ニンジンの作付けに失敗したりした。だが成果は、自分が追求すべき方向が見えてきたことだ。「10年後に辞めたあと」のことを考える必要もなく、すでに農業で英語が武器になったわけだ。
今回紹介するもう1人は、田口明香さん。デュラントさんとは対照的に、中学生のころから農業に憧れ、東京農大へ進学した。卒業後はドイツの有機農家のもとで研修したり、国際農業者交流協会で働いたりと、ずっと農業に関わってきた。そして2013年に松沢さんを訪ね、3年後に就農した。
2人の農業にかける思いに軽重があるとは思わない。ただ、どちらかというとデュラントさんが農業とのほどよい距離感を感じさせるのに対し、田口さんはもっとストレートに農業への情熱がほとばしっていた。
例えば、「農業をやってうれしかったことは?」と聞くと、しばし考えたあと、次々に言葉が口をついて出た。「ずっとやりたかったことが、今できていること。雑草を抜いているときも、農家になれたんだという思いがこみ上げてくる。畑の近くを歩いている人と仲良くなれた。お客さんから、おいしいって言ってもらえた。自分の知らない野菜の料理方法を教えてもらえた」。
自分がいま畑にいる喜びを語る田口明香さん(東京都瑞穂町)
就農準備で畑を開墾する田口明香さん(2015年、東京都瑞穂町)
農作業に復帰できた背景に家族の支え
一方、「つらかったことは?」と聞くと答えは、農作業を我慢しなければならない時期があったことだった。就農1年目に妊娠した。それじたいはもちろんハッピーなことだ。体に気を遣って「軽い農作業にとどめよう」と決め、重いものを持つのをやめ、体に振動が伝わる耕運機を使わないようにした。だが、いつの間にか疲労がたまっていたのだろう。体調を崩して一時、入院した。
男の子が産まれたのは、2017年5月。出産後はしばらく農作業を控えていたが、再開してみると「ちょっと頑張って、翌日はダウン」ということがしばしば起きた。思うように作業が進まないことで、焦りも募った。
取材に応じてくれたときはそれからすでに1年たち、作業のペースをつかみつつあった。「去年は体調管理がうまくできませんでした。時間の管理の仕方はまだけして上手ではありませんが、体はもうだいぶよくなりました」。畑に出ることができるようになった喜びをかみしめる毎日だ。
農作業に復帰できた背景には、家族の支えもあった。出産前は両親や夫に「こういうふうに作業して」と書いた紙を渡し、畑を手伝ってもらった。復帰した今は、夫が子どもを朝保育所に送ってくれるなど、育児を分担してくれるようになった。去年、何度か農作業を休んだ教訓から、焦って頑張りすぎないようにすることも習慣になった。
いま栽培しているのは、スイスチャードやルッコラ、ビーツなどの西洋野菜や、江戸野菜などちょっと珍しい品目だ。ではこの先、どんな農業を目指すのだろう。品目の拡充や栽培技術の向上といった答えを予想してそう質問したら、返ってきた答えは「絵の具で描いたような、彩り豊かな畑を作りたい」だった。ドイツの研修先で、「カラフルな絨毯みたいな畑を見て感動したこと」が、野菜作りの原点になったという。それまでは、長年農業を志してはいても、どんな作物を選ぶかは決まっていなかった。
理想の世界が視覚的な理由
このあとで「おいしい野菜を作るのは当然です」ともつけ加えたが、真っ先に「彩り豊かな畑」という言葉が返ってきたことは、とても新鮮で印象的だった。理想とする農業の世界が視覚的なのは、自分がいま野菜に囲まれて、農作業をしていることへの幸福感に包まれているからだろう。
この思いを、自分の作った野菜を食べてくれる人と分かち合うことも目標という。「畑から野菜を持ってきて、彩り豊かな宅配ボックスをお届けして、お客さんに喜んでもらいたい。できればお客さんにも畑に来てもらって、『わーっ』って感動してほしい」。イメージは尽きることがない。
今回はここまで。農業へのアプローチの仕方はそれぞれ違うが、2人に共通しているのは、自分がいま農業をしていることへの素直な喜びだった。ありふれた言い方をすれば、どんな職業にもやりがいはある。だがそれを混じり気のない言葉で語る2人の姿に、羨望を禁じ得なかった。しかも、2人とも「女性ならではの農業」を前面に出してはいなかった。それほど、自分が農業をやっていることが自然だと感じているからだろう。
もう1つ強調しておくべき点がある。2人とも家族が一緒にやる農業ではなく、夫が別の仕事をしているという点だ。つまり、兼業農家なのだ。
この連載を始めたのは、今から5年前。様々な角度から農家を取材してきたが、このところ強く感じているのが「兼業農家の復権」の大切さだ。地方で広く企業的にやる農業の価値が揺らぐことはないし、それこそが未来の農業の王道だと思う。だが、それとは違う形で、新しい兼業の形も求められている。それは「農業はもうからない」「息子には継がせられない」と言いながら、渋々農業を続けてきたような一部の既存の兼業農家とは別の生き方だ。
明日も、東京ネオファーマーズの話を続けたい。
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これは「誰かの課題」ではない。
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