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 日本の農政は、農家のための農政ではあっても、農業のための農政ではなかった――。農政批判でよくあるフレーズだ。零細で非効率な農家を「数が多い」という政治的な理由で守ってきたが、農業の発展には役立たなかったということだろう。

 筆者も漠然とそういうことを考えながら、10年ほど前に農業の取材を始めた。そして今でも、そういう農政批判の多くは間違っていないと思う。だが最近、ふと立ち止まって考えることがある。ではいったい、農業のための農政とは何なのか。そもそも、何のために農業を守り、強化する必要があるのか。

 なぜ農業は大切なのか。この問いを、いったん「なぜ自動車が大切なのか」に置きかえてみたい。もし、自動車に代わり、もっと安全で環境に優しく、便利な交通手段が登場すれば、自動車の価値は過去のものになるかもしれない。交通手段は、そうやって技術革新とともに変わってきた。自動車は目的ではなく手段であり、大事なのは行きたいところにいかに効率的にたどり着くかだ。

 同じ文脈で言えば、農業はあくまで手段であり、目的は十分な食料を安定して供給することにある。量が満たされれば、「おいしさ」などさらなる価値の追求が始まるが、基本はあくまで食料の供給にある。

 難しいのは、日本を含め先進国は、食品の量が十分に満たされてしまったことにある。食料が余れば、当然、手段としての農業の収益性は下がる。とくに日本や韓国の場合、米国など海外から輸入する農産物で量を充足させた。量の確保という目的を達成する手段を、結果的に海外に求めたわけだ。

 美しい田園風景など、農業に付随して生まれる価値のことはいったん脇におく。もしそれが、食料の供給以上に大切なものならば、田畑を減らす乱開発は起きなかっただろう。田園風景はいまや希少だからこそ、保護すべきだという主張が強まるが、主張の説得力には限界がある。

 ここまでは理屈の話。本音を言えば、理屈抜きに農業は大切だと思う。だからと言って、みんなが農業をやり、農産物を売って生計を立てようと思えば、収益力はさらに低下する。そのジレンマを乗り越え、農業を守る一助になるのが「農地のサービス業的な利用」というのが、筆者の結論だ。

 農業を構成する要素を分割すると、農地と農業技術、農業をやる人の3つになる。市民農園は間違いなく、農業のファンを広げ、農業を志す人を増やすことに貢献する。その意義は、相当に大きいと思う。

 ここから先は、市民農園など農業関連サービスで成長しているアグリメディア(東京都新宿区)の諸藤貴志社長のインタビューに移りたい。

「農業の未来は明るい」と話す諸藤貴志社長