全3479文字

稲作地帯が他の作物に注力した理由

 「サトイモやネギ、ニラなども考えたが、最後はタマネギで行こうと決断した。この地域はチューリップの有数の産地だからだ」

 タマネギとチューリップは同じユリ科の植物。チューリップに合う気候なら、タマネギを作ることもできるというわけだが、これは栽培上の理由。タマネギは定植や、土の中からの掘り出し、収穫などの作業を機械化できるという利点もある。貯蔵施設に入れれば、品質を保ちながら保存もできる。だが、もっと大事なのは、なぜ稲作地帯が他の作物に注力したかだ。

 「少子高齢化でコメの消費は急激に減りつつある。稲作が今日こうなることは、10年前からわかっていた。何の工夫もせず、放っておけば、組合員が大変なことになると考えた」

 コメ単作から複合経営への移行は、稲作地帯の多くが考えることだ。だが、頭で考えるだけなのと、実際に行動に移し、軌道に乗せるのとはまったく違う。佐野組合長が水田でタマネギを作ることを提案したとき、農協の理事会では「なぜタマネギなんだ」という反対意見が多く出たという。家庭菜園で品目を増やすのと違い、新たな産地を作るのはそう簡単なことではない。だが、佐野組合長は「タマネギを作ろう」と農協の役員たちを説得した。

 栽培が安定してくると、富山でタマネギを作ることの強みも明らかになっていった。栽培スケジュールを簡単に説明すると、10月ごろに定植し、12月から2~3月初めごろまで畑が雪に覆われ、雪が溶けると追肥して、6月に収穫する。保存が利くように乾燥させ、7~8月に出荷する。

 この出荷時期がJAとなみ野の強みとなった。これまでタマネギは佐賀と淡路、北海道が産地として有名だった。この産地リレーで端境期になるのが、7月から8月。ちょうど品薄になる時期に、富山のタマネギが市場に登場するわけだ。もちろん、ただ出荷すれば売れるわけではなく、JAとなみ野のスタッフが県内外の市場や卸などを回り、売り先を開拓していった。

 とは言え、新しい作物に挑戦していきなり栽培がうまくいくわけではない。栽培を始めた当初は「ピンポン球やゴルフボールのようなタマネギしかできなかった」(佐野組合長)。では、どうやって「ど素人」の生産者が栽培を安定させることができたのか。ここは直接、農家に話を聞いてみよう。

大きく育ったタマネギ。かつては「ゴルフボール大」だった。(富山県砺波市)

 「最初は小さいタマネギしかできなくて、10アール当たりの収量は2.5トンしかなかった。今年は6トンをちょっと切るぐらい。多いときは7.7トンとれた。手探りで、我流で栽培技術を身につけていった」

 78歳のベテラン農家の斎藤忠信さんはそうふり返る。タマネギの産地ではないので、県の職員も農協のスタッフも作り方を知らなかった。頼みの綱は、長年農家をやってきた経験だ。このとき斎藤さんは、自分が稲作を始めたときに先輩農家が言った「葉齢調査をしろ」という言葉を思い出したという。

タマネギの栽培技術の指導役となった斎藤忠信さん(富山県砺波市)