長く農業を取材していると、都市と農村のコミュニケーションギャップを感じることがよくある。農協問題はその典型。東京など都市を起点とする情報発信には、「農協改革」という言葉を何の疑問も抱かずに使っているものが少なくない。そしてこの言葉には、「農協は改革すべき対象である」という前提が暗黙のうちに込められている。
こういう発想はたいてい深い調査や考察を背景にしたものではない。考えの根拠にあるのが、「日本の農業は危機的状況にある」「農業を広くカバーしているのは農協」「農協ががんばってこなかったから農業は成長できなかった」という短絡だったりすることがけっこうある。
その点に関連し、前回この連載で農業危機の原因を考えた(12月14日「畜産振興『エサは輸入』が招いた日本農業の危機」。苦境の根幹にあるのは、零細経営につながりやすかったアジアの稲作の生産構造だ。
かつては狭い面積で多くの人口を支えることのできるパワフルな作物だったが、市場開放で欧米の広大な畑作経営と張り合うようになった瞬間、零細経営が競争の足を引っ張るようになった。それぞれの地域の歴史を背景に生まれたこの構造を踏まえない限り、4割という自給率の低さは理解できない。
そこで今回の本題に戻ると、農業に参入した企業や、農家が企業的な経営を導入した農業法人と同様、農協の中にも頑張っているところと、そうでないところがある。農協や企業という組織の形が経営努力を規定するわけではない。そして今回取り上げる「となみ野農業協同組合」(JAとなみ野、富山県砺波市)のように、未来をにらんで先手を打った農協もある。
今この地域にとって、戦略作物はタマネギだ。もともとコメを中心に転作作物の麦や大豆を作る、北陸地方によくある稲作地帯だった。だが、JAとなみ野が旗を振り、2009年にタマネギの生産に参入した。当初は24軒の農家が8ヘクタールで作っていたが、10年たった今年は約130軒の農家で合計200ヘクタールまで拡大した。北陸に突如、タマネギの産地が誕生したわけだ。JAとなみ野は現在、富山県内のほかの地域でもタマネギの生産を指導するよう県から協力を求められている。
なぜJAとなみ野はタマネギの生産に踏み切ったのか。佐野日出勇組合長に聞くと、次のような答えが返ってきた。

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