転機は18年ほど前に訪れた。夫の母親が体調をくずし、「もう農業はできない」と言うようになったのだ。父親のほうは、青木さんが結婚した翌年に引退していた。そして、2人からずっと「うちは代々農家」「土地は手放さないでほしい」と言われ続けてきた。

 夫は勤めに出ているので、畑仕事を引くつぐことができるのは、幸子さんしかいなかった。ただし、根本的な問題があった。農作業のことをきちんと教えてもらっていなかったのだ。

「どうしよう」から踏み出す

 例えば、田んぼでこんなことがあった。義母が苗を数本まとめて抜き、わらで縛って束をつくっている。「どうやるの」と聞くと、「こうやるんだよ」と言ってやってくれるが、水のなかでどんな作業をしているのかわからない。「代々農家」はこうやって技術を伝承してきたのだろう。だが、サラリーマンの家庭で育った青木さんには、これでは伝わらない。

 「『どうしよう、どうしよう』って思いました」。青木さんは当時の心境をこうふり返る。まず家庭菜園の本を買い、家庭菜園の勉強会に顔を出した。東京都のUターンセミナーにも出席した。東京の女性農家の集まりものぞいてみた。地方の農家の取り組みを聞いて、「すごいなあ」と感心した。

 そうしたなか、家庭菜園感覚の栽培から「農業」へと踏み出すきっかけになったのが、自宅前で始めた野菜の無人販売だ。義父母は夏野菜や栗を売るほかは、自分たちが食べる野菜やコメの生産が中心だった。区画整理で農地にマンションを建て、家賃収入が入ったことで、暮らしには困っていなかった。

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