この「実践感覚」は、研修先でも感じたことだ。農業学校で教えていることが間違っているわけではないが、「本に書いてある通りにきっちりやると、ものすごく時間がかかる」。一方、研修先の農家は「ここはこれで大丈夫」「こっちはきちっとやったほうがいい」など、メリハリがきいていたという。いまなお現役バリバリの80代の専業農家だ。

 生活面でもアドバイスを受けた。研修中、井上さんは午後5時まで農作業をしたあと、コンビニでアルバイトをしていた。農家の助言は「農業は体が資本。何時までに寝て、朝早く起きるという体づくりをするのも研修だ。バイトはやりすぎないほうがいい」。「暑さや寒さに慣れ、体のサイクルをつくるのも農家としての勉強」とも教えられた。

 どんな仕事にとっても、効率的であることは大事だが、仕事の中身によってその意味は異なってくる。農業は、天候というコントロールが難しいものを相手にする。とくにここ数年は、大雪や長雨など極端な天気が少なくない。そこでまずは全体状況を把握したうえで、機動的に次の一手を考える。「しょうがない」はあきらめではなく、戦略を切りかえるための見極めの言葉なのだ。

捨てたものではない

 この連載では、農業が天候にあらがう方法として、グループ化によるリスクヘッジや植物工場などを取り上げてきた。今回リポートした内容は、そうした経営と比べると、素朴にみえるかもしれない。だが、こういう柔軟な作物栽培の対応能力がなければ、先進経営を育む土壌も生まれない。日本の農業の基礎体力といってもいいだろう。

 話題は少しそれるが、井上さんの奥さんのもとに今年、テレビから取材依頼があった。「貧乏に負けずにがんばっている女性」に焦点をあてる有名な番組だ。取材のポイントは収入のほか、家計で節約している点や、ふだん遊びに行っている場所などだ。

子猫のとき、畑でカラスに突かれていたのを拾ってきた(東京都瑞穂町)

 ところが、井上さんは順調に売り上げを増やしており、奥さんには幼稚園の栄養士の仕事という安定した収入がある。番組スタッフが訪ねてきたので、世帯収入を伝えると、企画はすぐに中止になったという。

 「ぼくが農業をやっていて、古民家に住んでいるから、貧乏だって想像したんでしょうか」。井上さんは笑いながらそう話す。農業を取材している身としては、番組スタッフに「農業はそんなに捨てたものではないよ」と言いたいところだ。ただし、井上さん夫婦の家計の実情を知ったうえで無理やり番組をつくろうとはせず、すぐにあきらめたのはスタッフの誠実さだろうか。

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