ここまでが新しく加わったメンバーだが、もう1人、栽培以外で農園を支えるスタッフ、十川英和さんのことも紹介しておこう。担当は、販売の管理や出荷。顧客とメールでやりとりし、受注し集計し、出荷する品目を決め、パートに仕事を指示する。大手企業の子会社で働いていたが、農業で独立したいと思い、2014年に久松農園に入った。
新しいチームを久松さんはどうみているのか。まず他の農業法人で栽培管理をしていた飯沼さんについては「チームづくりのノウハウがあるので、ここでも当たり前のように仕事ができる」。農業法人を経営していた志野さんは「作物について率直に意見を言ってくれるのがうれしい」。以下は、枝豆の出来について志野さんが放ったひと言だ。「ちょっとびっくりしました。あれを、ありにしちゃうんですね」。
そして十川さんについては「あのポジションはとくに大きい」。以前は「畑に出ない人を雇う余裕はないと思っていた」。だが、栽培に関わらない人をおくことで、組織が格段にうまく回ることがわかった。古い言葉でいえば「番頭」ということになるだろうか。畑から発想する栽培部門と、マーケットからものを考える管理部門が両輪として動くことで、小さくても農作業会社ではなく、農業企業になる。

「番頭」も「渡り職人」も
久松農園の新しいチームのメンバーの紹介はここまで。このチームがどんな成果を出すかはこれからの課題であり、それを先読みして評価するのが本稿の狙いではない。重要なのは、久松さんが「渡り職人」というキーワードをもとに、農業法人の形を模索し始めたことにある。しかも、目標は大企業になることではない。
久松農園よりずっと大きい農業法人を取材するとき、筆者もつい「大手といっても、売り上げはまだ数10億円程度」などと考えてしまうことがある。もちろん、他産業に見劣りしないような大型の経営が登場することに期待はしているが、それだけが農業のあり方ではない。
久松農園の栽培面積は約5ヘクタール。有機農業としては大きめだが、これ以上の拡大については「単体としては非合理的」という。価格競争力を追求して面積を増やす経営ではなく、価格競争に巻きこまれるのを避け、付加価値で勝負する経営だからだ。その先は、久松農園で研修し、独立した人たちでグループをつくることを目指すという。
そのひな型になるのが、誕生したばかりの新チームだ。経営者になる意欲と才覚のある人は独立してマネジメントの道に進み、栽培で腕をふるいたい人は「渡り職人」としてスキルの向上に貢献する。大企業にはない独自技術を持つ町工場の集積のような構造ができれば、日本の農業に新たな可能性が開けるかもしれない。「企業的経営」という言葉だけでは表現しきれない、生産者の誇りを守り続けるグループとして。

『コメをやめる勇気』

兼業農家の急減、止まらない高齢化――。再生のために減反廃止、農協改革などの農政転換が図られているが、コメを前提としていては問題解決は不可能だ。新たな農業の生きる道を、日経ビジネスオンライン『ニッポン農業生き残りのヒント』著者が正面から問う。
日本経済新聞出版社刊 2015年1月16日発売
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