新しいメンバーを紹介する前に、今回の人の入れ替えをきっかけに久松さんが考えた組織のあり方を説明しておこう。「金属加工の渡り職人のようなもの」。久松さんはそう表現する。旋盤工などが働く工場を数年ごとに変えながら腕を磨き、腕のいい職人を確保した工場がいい製品をつくる。そんな形を、農業でも実現できないかと思ったという。
業界全体で人を育てる
「農業のような零細企業が1社で人材を育てるのは難しい。業界としてやっていく必要がある」とも話す。そうすることで、「自社だけでノウハウを高めるのではなく、ほかからいいものを吸収できる」。終身雇用を前提に、自社で社員を教育する大企業とは異なる組織運営だ。農業界にはあえて大規模化を避け、きめ細かい栽培やマーケティングを目指す農場は少なくない。
では久松農園の2人の新メンバーをみてみよう。31歳の飯沼学さんは11月に久松農園に入社した。同じ茨城県内の農業法人で働いたキャリアがあり、久松農園の新しい農場長として期待されている。体育教師になるための学校を卒業したが、妻の実家が農家だったこともあり、農業大学校に入り直し、5年前に農業法人で働き始めた。
飯沼さんの仕事は現場の生産管理だった。10ヘクタールの農場を少ないスタッフで苦労しながらこなしてきたが、今年の春に日本人の若いスタッフや技能実習生が入ったことで、農園が見違えるほどうまく回るようになった。飯沼さんの下で働いていた20代のスタッフも、新しいメンバーが加わったことでモチベーションが高まった。
「この会社もやっと落ち着いたな」。飯沼さんはほっとすると同時に、「もう彼らだけで十分。バトンタッチすべき時期だ」と感じたという。「会社が落ち着いてきたので、ほかの作物もやってみたい」。飯沼さんが農業法人のトップに会社を変わりたいという気持ちを伝えたのが9月半ば。「応援するよ」。トップからそんな言葉をかけてもらった数日後、久松さんから連絡が入った。「何か悩んでいるんじゃないか」。
飯沼さんがいた法人と久松農園は会社ぐるみのつき合いがあり、飯沼さんが先行きのことで迷っていることが久松さんの耳に入っていたのだ。「これも縁かもしれない」。そう思った飯沼さんが「働いてみたい」と告げると、久松さんは「その気があるなら」と応じたという。
ただし、ひとつ条件があった。「会社にきちんと説明すること」。それを踏まえたうえで、久松さん自身が旧知のトップに話をしに行った。「業界全体で人材を育てる」ことを目指す久松さんにとって、飯沼さんの転職が円滑に進むことは必須の条件だった。

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