食管制度についてはどうですか。

高木:コメについてもウルグアイ・ラウンドでまだ交渉中なので、交渉中の案件に対してどうこうすべきだと言うわけにもいかない。議論することじたいが、市場開放の容認と受け止められかねないので、議論できなかった。

 それでは何がテーマかということになり、からめ手から行こうと考えて経営に焦点を当てた。個別経営体と組織的経営体という概念を打ち出し、経営が大事だということを前面に出した。農業も1つの産業で、持続する経営が農業を産業として成り立たせる。それを前面に出すしかなかった。

1999年に日本農業法人協会が誕生しました。

高木:以前は農業経営者が農水省に行っても、冷たくあしらわれていた。もともと法人協会は自然発生的に各県でできていた。それを糾合し、公益法人として全国団体ができたのが1999年。その前は任意団体だった。もちろん、自分もそういう団体を作らなければならないと思っていたから、次官の立場で設立を後押しした。その結果、知名度も高まったし、少なくとも農水省との間で公的なつき合いができるようになった。自分の中では持続する経営でないと、産業として成り立たないという思いがずっとあった。

経営体を育てる必要性

話が戻りますが、新政策の翌年の1993年、政策で後押しする農家を市町村が決める認定農業者制度ができました。

高木:新政策から直接出てきたものではないが、経営体をしっかり育てなければならないという発想は共通だった。

農家が認定を受けるときに作った計画を達成できていなくても、再認定が簡単にできます。制度の目的と実態がずれていませんか。

高木:そうした乖離が生じてしまうのが、認定農業者制度の限界だ。国が農産物の価格を決めたり、市町村が支援対象を決めたりすると、結局はそこに政治の圧力がかかってしまい、行政の妥協を招く。認定農業者制度で言えば、市町村は対象となる農家が減ってしまっては困る。だから経営の中身がどうなっているかよりも、数を維持しようというモノサシが勝ってしまう。

農政への提言を積極的に続ける高木勇樹氏