新政策はどんな経緯でできたのですか。

高木:1991年5月に私が企画室長になって、議論が本格化した。農水省の審議会を使い、その下に部会や委員会を作って議論するのがオーソドックスなやり方だ。だが、ウルグアイ・ラウンドの交渉結果をにらんで対策を考えるということもできず、政治的にもやや不安定な時期だったので、農水省そのものが考えるということで議論した。

 もちろん、外部のチェックは必要で、それがないと発信力を伴わないので、経済界を含め、しっかりした識見を持った人に集まってもらい、アドバイザリーグループは作った。ただ、既存のステークホルダーがたくさん入り、いきなり反発が出る可能性がある審議会方式はとらなかった。

 まず省内で何をテーマにするかを議論した。私は「農地制度を取り上げるべきだ」と主張した。当時すでに耕作放棄が深刻になっていた。農地法は「耕作者がみずから農地を保有する」ことを前提にしていた。その通りなら定義上、耕作放棄が発生する余地はない。にもかかわらず耕作放棄が起きているということは、農地法の基本理念が適応力を失っていると考えた。

 農地、食糧管理、農協の3つの制度は戦後農政の大きな枠組みであり、その1つである農地制度をきっちり検証して見直すべきだと思った。それを議論の対象にすることを問題提起したが、「けしからん」という雰囲気が省内外に満ち満ちていた。戦後の農地解放でできた農地制度のような立派な制度を作れた国はほかにどこにもなく、守ることが大事だと。現役もOBもそう主張した。

 農地制度の担当者に聞いてみると、答えは「農地制度が悪いのではなくて、作るモノがないから作らない」と反論された。もし本当にそうなら、専門的に農業をやっている人に聞けば、「自分だったらここでこういうモノを作る」という意見があるかもしれない。その人に農地を貸せばいいと思ったが、それもダメだった。結局、農地問題は議論を封印せざるを得なかった。

ポスト平成時代の農政を農水省はどう模索するのか