農匠ナビを立ち上げた仏田利弘さん(石川県野々市市)
どうせやっても無駄だ――。そんな決めつけを、農業界も封印すべきときなのだろう。先進的なコメ農家と農協、研究機関、メーカーが手を組み、ビッグデータを使って経営を改善する試みが来春始まる。これまで農業関係者の多くはIT(情報技術)を使いこなせないか、本気で向き合ってこなかったのに「ITなんて無駄」という声があった。その限界を乗り越えるための挑戦だ。
事業を担う新会社は、農匠ナビ(東京・中央)。横田農場(茨城県龍ケ崎市)、フクハラファーム(滋賀県彦根市)、AGL(熊本県阿蘇市)、ぶった農産(石川県野々市市)の4社が中心になり、今年5月に設立した。社長にはぶった農産の仏田利弘氏が就いた。
「調べる」から「変革する」へ
きっかけは、九州大学の南石晃明教授が代表の研究プロジェクト「農匠ナビ1000」に4社が参加したことにある(5月20日「現代の篤農、学界とコラボで『限界の先』へ」)。大規模経営のノウハウを数値化し、技術のパッケージを確立し、日本の稲作の生産コストの削減に役立てるための研究だ。
研究成果は今年3月に発表された。それによると、4社の生産コストは全国平均より4割前後低いことがわかった。4社がどんな栽培技術を駆使し、経営を効率化しているのかも明らかになった。その成果を全国の農家に広げるため、設立したのが農匠ナビだ。「現場で何が起きているかを調べる」ための研究から、「現場を変革する」ための実践へと歩を進める戦略会社といえる。
つぎに、農匠ナビのプロジェクトに参加する企業が、農業関連でどんなサービスを提供しているのかをみてみよう。例えば、ヤンマーの「スマートアシスト」はGPSを通して農機の稼働状況を管理したり、故障などのトラブルに対応したりするサービスだ。コメの収量などを自動測定する「インテリジェントコンバイン」も販売している。
富士通の「Akisai(秋彩)」はスマホを使い、作業工程のデータを集め、生産性の向上に役立てる。農業ソフト開発のソリマチが提供する「フェースファーム」は、作業時間や燃料の消費量などの生産履歴を管理するソフトだ。積水化学工業の自動給水機「水(み)まわりくん」は田んぼの水の管理を自動化するとともに、遠隔操作による省力化やコメの品質向上への効果を検証する。
プロジェクトには「農匠ナビ1000」に続き、九州大学も参加し、研究開発部門で中心的な役割を担う。九大は圃場に設置したICタグにスマホをかざすことで、作業時間などのデータを集めるシステムを開発ずみだ。ポイントは、できるだけ少ない負担でデータを収集し、管理することにある。
ここまで、参加メンバーのシステムやサービスをかけ足で紹介してきたが、ようは各社がいろんな角度から農業に関わっていることを理解してもらえればいい。裏返して言えば、そこにこそ現状の問題がある。これまで各企業がばらばらにサービスを提供していたため、データの収集と蓄積が断片的なものにとどまっていたのだ。
その限界を克服することに、農匠ナビの狙いがある。サービスの対象になるのは農家。各企業のシステムやサービスで集められた情報をつなぐプラットフォームを新設し、そこにアクセスすれば農家が自分の経営の全体像を把握できるようにすることを目指している。
例えば、水の管理と作業時間、圃場ごとの収量、田植え機やコンバインが田んぼのなかで動く導線などのデータをつなぎ、同じサイトでみることができるようにすることで、生産性を高めるためのヒントにしてもらう。ここで大切なのは、それぞれのデータの相関関係がぱっとみてわかるような仕組みにすることだ。九州大学が開発するシステムを農匠ナビが活用し、農家にサービスを提供する。
AI活用にJA参加
ただし、これだけだと各農家が自分の経営を把握するためのシステムにとどまる。つぎの課題が人工知能(AI)の活用だ。サービスを利用する農家のデータを蓄積して分析し、栽培方法をどう改善すべきかをアドバイスできるようにする。作業状況や収量などで、自分がどの順位にいるのかを知ることのできるランキングなどのサービスも考えている。これも、農匠ナビと参加企業が協力してつくるシステムだ。
そこで、プロジェクトに参加するプレーヤーをもうひとつ紹介する必要がある。全国農業協同組合連合会(JA全農)だ。いくらAIの活用と言っても、サービスを利用する農家の数が増えなければ、統計的な処理にはたえられない。ここに、まだ少数派にとどまる先進経営の限界がある。JA全農は地域農協を通して組合員にシステムの利用を促してデータ量を増やし、匠(たくみ)の技術を多くの農家に普及させる役割を期待されている。
以上、プロジェクトの概要を紹介したが、まだ計画段階にもかかわらず「これをきっかけに日本の農業が大きく変わりそうだ」などと総括しないのが、この連載のモットーだ。そうではなく、現時点でわかっている事業の特徴を考えてみたい。
対立から共闘へ
先進農家と農協の対立の構図は過去のものになりつつある(東京・大手町)
ひとつは、それぞれのサービスで集める情報はだれのものかという点だ。これまで農家は各サービスをばらばらに利用してきた。しかもここが肝心なのだが、多くの農家の情報からえられる知見を蓄積し、活用するのは企業の側で、農家はその成果として提供されるサービスの利用にとどまっていた。
これに対し、このプロジェクトは各サービスを通して集めた自らの情報を、農家が一元的に把握できるようにすることにポイントがある。それを、多くの農家のデータをもとにした全体状況と見比べることができるようにする点も、既存のサービスとの違いだ。
一方、このプロジェクトでは、参加企業はそれぞれのサービスを通して集めた情報を融通しあうことは原則できない。つまり、実験の被験者のように一方的に情報収集の対象になってきた農家が、情報を主体的に使う立場になることを目指しているのだ。カギをにぎるのが農匠ナビ。両者の間に立ち、利便性の高いプラットフォームをつくれなければ「農家主導の情報システム」は絵に描いた餅におわる。
もうひとつの特徴は、農匠ナビを立ち上げた農業法人は肥料などは農協から購入するが、農産物の販売では農協にほとんど頼っていない点にある。かりに目的を「日本の農業を全体として底上げする」ということにしておこう。そのためには、JA全農は先進農家の知見を活用する必要がある。一方、先進農家もJA全農の力を借りて農家の数を増やさなければ、「ビッグデータ」と呼べるだけの情報量を確保できない。
かつて先進農家が農協に売る農産物を減らし始め、独自の販路を築こうとしていたときは、両者の間に対立の構図もあった。だが先進農家がすでに一定の地位を築いたいま、そうした構図は過去のものになりつつある。意欲ある農家と農協が手を組み、経営力を高めようという試みは各地で始まっている。
前段に戻れば、「日本の農業を全体として底上げする」という目標もきれいごとではない。農家のレベルが上がり、その数が増えなければ、本当に必要なシステムやサービスを企業に求めることができないからだ。最近、農薬や肥料や農機の値段が高いことが農政で課題になっているが、問題はそれを甘受してきた農家の側にもある。
オールジャパンを目指せ
いままで日本の農家は、あまりにも受動的にサービスの提供を受けてきた。農協がただで実施している営農指導はその典型といえるだろう。サービスが高くても安くても、費用対効果をつきつめて考えることも少なかった。そういう「あいまいな関係」を打破するためにも、このサービスは利用する農家に課金することを原則にする。料金を払ってはじめて、どんなシステムが必要かを真剣に考えることができるからだ。
もっと重要なのは、このサービスは使う人を選ぶ点にある。どれだけ使い勝手のいいソフトを開発しても、農家の側がデータをもとに経営を改善する意欲やスキルを持っていなければ、サービスは意味を持たない。あえて指摘すれば、これまで農協は「みんな平等」を組織の原理にしてきた。プロジェクトは農家の選別を目的にしたものではないが、結果的にやる気のある農家しか使えなくなることに一定の意味はある。
そろそろ、既存の構造をシャッフルすることが必要なのだろう。農協は「農協がなければ営農できない農家」ばかりを相手にし、先進農家は農協と距離をおく。農家と企業で保有する情報量とシステム対応力に格差があるから、現場で役に立つサービスがなかなかできない。こうした構造を突きくずし、協力と競合の緊張関係を築くことで、日本の農業の生き残りに向けた総力戦が成立する。
最後に冒頭に戻る。4人の先進農家と九州大学の結びつきから始まったこの挑戦を、「どうせやっても無駄だ」とつきはなすことは避けたい。本来、農業に広く活気があれば、こうした試みはもっとたくさんあったはずだ。原因と結果は逆になるが、現場からオールジャパンを目指すチャレンジのひとつとして今後の展開に期待したいと思う。
兼業農家の急減、止まらない高齢化――。再生のために減反廃止、農協改革などの農政転換が図られているが、コメを前提としていては問題解決は不可能だ。新たな農業の生きる道を、日経ビジネスオンライン『ニッポン農業生き残りのヒント』著者が正面から問う。
日本経済新聞出版社刊 2015年1月16日発売
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