数年前、ある研究機関のチームから「農業問題で相談したいことがある」という連絡があった。「コメの関税を撤廃すべきだというリポートを書きたい」。そのために知恵を貸して欲しいというのが相談の趣旨だった。

 今のように高関税でコメを守ることの是非については、議論の余地が十分あるだろう。手厚い保護は、えてして産業をかえって弱体化する。農業はその象徴かもしれない。だが、いきなり「ゼロ」にすることにどんなリアリティーがあるのか。多くの国は、何らかの形で農産物を守っている。

 「自ら進んで自国の弱い産業を国際競争にさらす国があるだろうか」。そんな疑問を口にすると、「この問題は経済学的にはとっくに決着がついている」と強い口調で否定された。おそらくは英国の経済学者、リカードの「比較優位論」が念頭にあったのだろう。各国がそれぞれ優位にある産品を作り、自由貿易を推進することで経済的な厚生が高まる――。

 そして、トランプ米大統領が登場した。アメリカが仕掛けた貿易戦争に正面から対抗し、中国は米国産の大豆に報復的な高関税をかけた。あおりを受け、値段が下がった米国の大豆が欧州に流れ込み、中国が輸入先としてシフトしたブラジル産が値上がりした。世界の穀物事情は比較優位論とは別の論理で、予想もしなかった変動に直面している。経済学的には決着したのかもしれないが、現実の経済の世界では出口の見えない混迷に突入している。

 ではその傍らで、日本の農業に何が起きているか。「農業は衰退の危機にある」という警鐘は、いかにも「オオカミ少年の寓話」的に響くフレーズだ。日本はコンビニやスーパー、レストランに農産物があふれ、しかもまだ食べられるものを捨てている「飽食の国」。食料に不安を感じることはまずない。だがその背後で、国内の農地の荒廃が年々確実に進んでいる。

 オオカミが本当にやって来る日はないと、誰が保証できるだろう。経済学的には「それでも自由貿易が理想」と主張すればすむのかもしれない。だが、食料の潜在的な供給力が日々減り続けるこの国の現実を考えると、いたずらに危機をあおることは戒めつつも、何らかの対処策を考えるべきだと思わざるを得ない。

 日本の農業はこれからどんな針路を選べばいいのか。それを考えるためのヒントは、過去の農政の中にある。高齢農家のリタイアに応じ、担い手への農地の集約がうまく進めばいいが、実際に起きているのは、産地の弱体化に伴う「生き残り組」の競争力の向上だ。その狭間で、耕作放棄が増え続ける。農政のどこがうまくいき、何に失敗してこうなったのか。

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