飼料米の補助金の仕組みをどう改めるべきでしょう。

荒幡:ほとんど捨て作りに近い状態でも、収量が少ない理由をうまく説明すれば、下限の5万5000円をもらえるという話を聞く。逆に上限の10万5000円をもらえる収量になるように肥料を調節し、がんばり過ぎないようにしているという現実もある。これもおかしな話だ。

 地域差も影響している。単収の全国平均は530キロだが、長野県には平均が660キロの地域もある。800キロを超えないと満額の10万5000円もらえないので、とても無理と諦めてしまっている。一方で、九州には500キロを下回る低単収地域もあるが、640キロぐらいで満額もらえるので、がんばっている。

 低単収地域で飼料米を一生懸命作るより、660キロの地域が800キロ以上を目指す方がはるかにコストダウンにつながる。ところが、「全国で飼料米を作ろう」というのが農水省の方針で、啓蒙運動のような形で始めたので、それぞれの地域の平均単収を基準にした。それは無意味なことではなかったが、これから先、適地適産を考えるなら、今のやり方を続けるべきだろうか。

 経済学的に考えるなら、補助金の上限も下限もなくし、完全な数量払いにするほうがいい。地域の単収を考慮せず、「1キロ当たりで補助金はいくら」というふうにするほうがすっきりする。ただ、それをやると飼料米が採算に合わない地域が出てくるので、政治的には難しいだろう。

惰性で作るのではなく

県別配分をなくしたあと、稲作はどうなりそうですか。

荒幡:ほとんどの県は国が出す全国ベースの数字を見ながら、独自にコメの生産の数字を作り、市町村に下ろす。一番重要なのは市町村の数字が農家にまで下りていくかどうかだが、かなりの県がやりそうだ。

 名前は、今まで「配分」と言っていたのが、「目安」に変わる。表面だけ見ると、「生産者の自由を奪う」「何も変わらない」という印象を持つかもしれないが、市町村などに聞くと、大規模経営や法人経営は目安に関係なく、自分で経営判断することになりそうだ。

 売り先があれば、目安にかかわらず多めに作る。売り先がなくて、麦大豆や飼料米の収益性が高ければ、そちらを積極的に作る。言い方が目安になることで、少し緩さも出てくる。目安を示すことの弊害はそれほど大きくない。伸びようとする生産者を制約し、芽を摘む要素はそれほどない。

 目安は、小規模農家や兼業農家にとってこそ意味がある。集落座談会で役場が「来年はこういう方針」と説明すると、彼らは「じゃあ、わしらはどれだけ作ったらいいんじゃ」と質問する。経営判断に欠け、惰性でコメを作っている。彼らが無計画にコメを生産しないよう一定の歯止めをかける効果はある。来年から自由に作ることができると誤解したのは、そういう人たちだ。

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