ほかの産業では考えにくいことだが、農業には往々にして「赤字でも続ける」というケースがある。必ずしも補助金が出ているからではなく、「農業が好きだから」「地域を守るため」という思いで続けている例が少なくない。兼業農家の中にはそういう人がいるが、今回は企業のケースだ。
紹介するのは、新潟県糸魚川市の建設会社、谷村建設の子会社の糸魚川農業興舎だ。主な作物はコメとトマト、ブドウ。2005年の設立から、一度も黒字になったことはない。それでも、谷村建設の専務で農業興舎の社長を務める梅沢敏幸氏は「撤退はいっさい考えていない」と言い切る。
2016年の「糸魚川大火」では…
なぜ10年以上続けても利益を出す見込みがないにも関わらず、撤退を考えないのか。そのことを理解するために、糸魚川市で2016年12月に起き、144棟が延焼した大火のことをふり返ってみたい。
谷村建設の建物は被災を免れたが、西風にあおられて火の粉が近づくなど、切迫した状況にあった。もし、大規模な火災が新宿や銀座、大手町といった都心で起きていたら、現場近くの企業の従業員が取るべき行動は1つしかない。安全な場所への避難だろう。
ところが、地方では事情が変わる。梅沢氏はまず、すべての仕事の中止を指示し、社員を情報収集に走らせた。火災の状況を確認するためだ。コンピューターのデータのバックアップをとり、パソコンを別の事務所に運び出させた。
火の手が迫ったときのことを考え、いくつかのバケツに水を入れ、屋上に運び上げた。火の勢いによっては、バケツの水だけでは対応は難しいだろうが、できることはやっておくという姿勢だった。ここまでは、自社の被害を少なくするための手はずだ。
対応はこれでおしまいではない。社員の中に消防団が十数人いて、消防活動にかけつけた。消防団のOBも後方支援に回った。水をためたコンクリートミキサー車が現地に向かうと、水を受けるための鋼製の大型のダストボックスを複数送った。ミキサー車から直接、ポンプで放水することができないからだ。
「撤退は考えていない」と話す谷村建設の梅沢敏幸専務(左)。右は稲作担当の渡辺敏哉氏(新潟県糸魚川市)
車で火事を見に来る「やじ馬」の対策も手伝った。建設会社のため、三角コーンや誘導棒が会社にある。ふだんは工事現場で使うそうした道具を活用し、やじ馬で道路が混乱し、消火活動の妨げにならないように交通誘導を支援した。
重要なのは「地域」
重要なのは、消防署の本部から一つ一つ要請を受けこういう連携プレーが実現したのではなく、谷村建設の社員でもある消防団員と、他の社員が連絡を取り合い、臨機応変に必要な手を打ったという点にある。
消火活動にも使える機器をたくさん持っている建設業という性格上、サポートが多岐にわたったという側面はある。ただし、重要なのは「地域」というキーワードだ。都市部では、なかなかこういう光景は想像しにくいだろう。そして、谷村建設がいくら赤字続きでも子会社の農業事業をやめようとしないことも、こういう文脈からしか理解できない。
赤字であることを強調したが、けして縮小均衡で事業を続けているわけではない。むしろ逆。トマトはもともと3棟で作っていたが、需要に応じきれなくなったため、稲の育苗のハウスもトマト用にした。
一方、新たに稲の育苗用のハウスも3棟設けた。稲作は中山間地で3ヘクタールで始めたが、離農する農家から田んぼを引き受けているうちに、今は7ヘクタール強に広がった。このほかに、平地でも3.5ヘクタールでコメを作っている。
もちろん、効率化の努力はしている。例えば、稲作は条件の悪い中山間地が中心だが、少しでも無駄を減らすため、ほかの担い手と話し合い、高齢農家がリタイアするときは、近くの担い手が田んぼを引き受けるようにしている。飛び地になるのを防ぐためだ。
ただし、黒字化を目指し、本当に効率だけを優先するのなら、一番いいのは中山間地の田んぼを引き受けないことだ。だが、それは谷村建設の選択肢にはない。
農業に参入したほかの企業と比べ、谷村建設がとくに特殊なのが人事。ふつうは利益が出ないと、担当者のせいだと言わんばかりにころころ人を替え、それでも黒字化できないと最後は撤退する。
担当者は替えず、後継者も
これに対し、谷村建設はコメ、トマト、ブドウの担当者の3人を一貫して替えていないのだ。同社が担当者に望むのは、地域と協調し、まじめにいい作物を作ることだ。
例えば、コメ担当の渡辺敏哉氏は、39歳のとき地元のベテラン農家の斉藤義昭氏のもとで稲作を学び始め、今年は52歳。もう建設会社に就職したというより、農家になったと言ったほうがいいくらいだ。
地道に続けてきた成果で、作物はどれも評判がいいという。それでも、渡辺氏によると、「斉藤さんは暑くても寒くても、雨が多くても少なくても、収量に波がない。僕らが気づかないことに気づいている」。ベテラン農家の背中を追いかける農家のセリフそのものだ。
しかも、話には続きがある。谷村建設は渡辺氏の下に、もう1人稲作の担当者をつけた。渡辺氏の後継者に育てるためだ。冒頭に掲げた「撤退はいっさい考えていない」という言葉に偽りはないと言っていいだろう。
なぜ、こうまでして農業を続けるのか。谷村建設は今から10年以上前、当時は30代後半だった梅沢敏幸氏を中心に、糸魚川市にとって将来何が必要かを若手の社員で話し合った。「一生糸魚川で暮らしたい」を合言葉に議論するうち、地域の問題として浮かびあがってきたのが農業だ。
社員の中には実家が農家だったり、妻が農家の娘だったりする人が少なくない。週末に農作業を手伝う社員もたくさんいる。彼らに共通の悩みが、農業の衰退だった。
トマトは糖度が高く、子どもに人気(新潟県糸魚川市)
若い社員たちの声を受け、オーナーが決断した。「糸魚川で一生暮らしたいなら、糸魚川で問題となっていることを解決しないといけない。もし、社員が農業に真剣に取り組むなら、会社として応援する」。このときのオーナーの意志は、その後もまったく揺らいでいない。
うちは「社内兼業」
農業を始めてから10年以上が過ぎ、谷村建設の社員たちにとって、自社が農業をやっているのは自然なこととなった。梅沢氏は「お客さんから、おたくのトマトジュースおいしいねって言われれば、社員も喜ぶ」と話す。
そこで、梅沢氏に改めて撤退問題を聞くと、次のように答えた。
「もし、農業をやめるとしたら、農業ではなく、本業の赤字が続いて立ち直れないような場合です」
利益が出ていなくても、撤退しないというのは、経済合理性だけを考えたら、不自然なことに見えるかもしれない。だが、世の中は経済合理性だけで動いているわけでもないし、実際、利益が出なかったり、赤字だったりしても長年続いてきた経済活動がある。兼業農家だ。梅沢氏が重ねて答えた。
「うちのことは、社内兼業だと思ってもらえば、いいわけです」
これが今回の結論。兼業農家は農業の技術や経営のイノベーションにはあまり役立たなかったかもしれないが、食料供給と社会の安定には間違いなく貢献した。その兼業農家が高齢で大量リタイアの時代に入ったことが、足元で起きている農業構造の変化の背景にあるが、衰退しつつあるシステムにもかつては一定の価値があった。
谷村建設がやっている農業は、ふつうの農家が時間をかけてふつうにできるようになることを目指しているのであって、企業の農業参入でイメージするような、既存の農業とは別の革新的な何かを実現しようとしているわけではない。それでも、名前の知れた大企業が次々に農業から撤退したり、縮小したりする中で、「絶対撤退しない」と覚悟を決め、げんに継続していることの意義は過小評価すべきではないだろう。
兼業農家の急減、止まらない高齢化――。再生のために減反廃止、農協改革などの農政転換が図られているが、コメを前提としていては問題解決は不可能だ。新たな農業の生きる道を、日経ビジネスオンライン『ニッポン農業生き残りのヒント』著者が正面から問う。
日本経済新聞出版社刊 2015年1月16日発売
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