企業による農業参入はこの連載で一貫して追究しているテーマだ。見えてきた答えは2つある。1つは期待とは違い、企業がやっても簡単にはうまくいかないこと。もう1つは、それでも農業の衰退を防ぐためには、農業が「企業的なもの」を取り入れる必要があるということだ。
企業の農業参入と違い、後者には経営を成長軌道に乗せた多くの実例がある。野菜くらぶ(群馬県昭和村)を率いる沢浦彰治氏もそうした1人だ。群馬中小企業家同友会の代表理事も務めており、いまや地域経済を代表する存在でもある。
沢浦氏は家業だった経営を1994年に法人に衣替えし、コンニャク芋の生産と加工、野菜の栽培を手がけるグリンリーフ(同)を設立した。2年後には野菜の販売会社の野菜くらぶも法人化。グループ全体の今年度の売り上げは37億円を見込んでおり、有数の規模の農業法人に成長している。
なぜ家業を企業に変えたのか。家族的な経営と企業的な経営はどこが違うのか。「企業的なもの」とは何かをさぐるため、沢浦氏にインタビューした。
農業をふつうの仕事にしたかった
なぜ法人化したのですか。
沢浦:29歳のときに会社にしました。農業を会社という形でやりたかったんです。ようはふつうの職業にしたかったということです。どんな職業でも会社でやってるじゃないですか。当時、農業だけはなぜか会社でやるのはダメだって言われてました。有限会社にすることはできましたが、株式会社にすることはできませんでした。農業じたいがふつうじゃなかったんです。
どうやって会社経営のことを学んだんですか。
沢浦:会社にはしましたが、経営のことなんて全然わかりませんでした。人をどうやって雇用し、給料を払ったらいいのかも知りませんでした。そこで、他の産業から学ぶため、30歳のときに中小企業家同友会に入りました。
すごく興味があったのは、他の会社がどれくらい給料を払っているかということです。聞いてみて思ったのは、「そんなに払ってるのか」ということです。他の会社の社員がもらっている年間所得はうちの倍くらい。「とてもうちの会社にそんなに払う能力はない。これはやばいじゃん」って思いました。「同じくらい払うにはどうしたらいいのか」と真剣に考えました。
沢浦彰治氏は「在村地主が地域経済を回していた」と指摘する。
他産業と交流しないと気づかない点ですね。
沢浦:そうです。農業の中だけにいたら、わからないですよ。一方で、「農業の賃金が安いのは仕方がない」とみんな思ってました。でも、自分は「どうすれば改善できるのか」を必死に考えてきました。社会保険労務士の人に聞いたところ、いまでは「この地域の中小企業の中ではいいほうだ」って言ってもらえるようになりました。
運転資金に対する考え方が違う
経営のあり方について中小企業家同友会で何を学びましたか。
沢浦:カルチャーショックでしたね。例えば、運転資金に対する考え方が違う。当時は運転資金を借りることは、あまりいいこととは思われていませんでした。肥料を買うのに運転資金を借りるのは、いい経営ではないと言われるわけです。経営の規模が大きくなると、増加運転資金というものが必要になります。そういう資金も農協は貸し出していませんでした。
うちはコンニャクの原料在庫が多いため、資金繰りが苦しくて仕方ありませんでした。「なんでこんなに利益が出てるのに、お金がないんだろう」って思ってました。売り上げが増えれば増えるほどお金に困って、「どうしよう、どうしよう」って悩む状態が続いてました。
そんなとき、知り合いの経営者に相談したら、「沢浦さん、こんなに在庫があるなら、運転資金がないと間に合わないでしょう」って言われました。「え? 借りていいんですか」と聞くと、「銀行に相談すれば貸してくれるよ」。地元の銀行に聞いてみたら、「大変ですね。3000万円貸せます」と言われました。
生産在庫が増えたときは、売れるまでの間、一時的に銀行からお金を借りるわけです。「こんな単純なことなのか」と思いました。「嘘だろ」っていうのが、正直な感想でした。でも、そういうことが、農業の世界では悪いこととされていたんです。
企業経営には可能で、家族経営にできないことはありますか。
沢浦:付加価値の創造だと思います。今日明日、いいものを生産するという面では、家族経営には強みがあります。でも、どうこの先の顧客のニーズに応えるか、商品とサービスをどう開発するか、それに向けて将来の生産体制をどう変えていくか。そういった課題に対応することは家族経営では難しい。10年後、20年後の世の中が要望するものをつくり出していくことは家族経営ではほとんど不可能です。
うちも生産部門の社員は一生懸命頑張ってくれてます。でも、商品開発は別の部隊がやってます。1人で両方をやるのは、物理的にも時間的にも不可能なんです。社員それぞれがどういうことをやりたくて、どんな能力があり、どういう階層でやればいいのか。それを見極めて人材を配置しないと、組織のパフォーマンスが上がらない。これは、個人の農家ではできないことです。
適材適所です。体力には自信がないけど、事務管理ならできる。細かいことは好きじゃないが、畑で体を使うのは好き。食品のことが好き。それぞれが最大限能力を活かす場所を作ることができるのが会社です。
家族と企業の経営の違いに戻れば、新しい付加価値を生み出す機能を持っている家族経営は、自然と企業経営になっていきます。付加価値を生み出せないところは、企業であってもだんだん家族経営的になっていくんです。
ちゃんぽんのスープにシラタキを
付加価値とは何でしょう。
沢浦:困りごとの解決や不便さの解消。みんな言っていますが、簡単に言うとそういうことです。顧客が要望しているものを、ものまねや二番煎じではない形で開発する。恥ずかしながら、最近、そういうことがわかってきました。
自分も50歳を過ぎて、食べたいけど、食べると血糖値が上がったり、体重が増えてしまったりする。我慢しなければいけないけど、それはストレスになる。自分と同じような人が世の中にたくさんいる。そういう人たちに手軽においしく食べてもらえるものは何か。コンニャクは低カロリーとみんなわかってますが、ではコンニャクをしょっちゅう食べられるでしょうか。
最近、ちゃんぽんのスープにシラタキを入れた商品を発売しました。封を開け、野菜を足して鍋でゆでればちゃんぽんになります。翌朝の血糖値は通常の食事をとったときより低いし、「上がりのラーメン」を食べたときと比べると、もっと低い。それだけ、体にいいわけです。
小麦の麺の代わりにコンニャクが付いている商品はあります。コンニャクを洗ってゆでて、スープを入れて仕上げるタイプです、でも、これって食べるとやっぱりコンニャクはコンニャクなんです。うちのは、スープの中に専用のシラタキが入っているので、スープが絡んで味がしみていて、しかも開けてそのままゆでるだけという便利さがあります。
沢浦彰治氏は「家族経営では付加価値の創造は難しい」と話す。
これからの農業にはどんな人材が必要でしょうか。
沢浦:これは日本の教育にも関係してきますが、現場の作業者を育てることは一生懸命やってますが、経営者を育てるという観点が乏しい。だから、現場で作業することが仕事だと思ってしまうんです。言われたことを現場でやればいいという教育です。それはもちろん、素晴らしくて大事なことです。でも、かつて経済が成長していたときは、そういう人たちの給与を上げることができましたが、いまはそういう時代ではありません。
昔は新しいことや改革を、地主がやっていたんです。「これからは、これじゃいかんから、これをやるぞ」って言って、小作がそれに従ってやったんです。地主がいなくなったから、新しく切り開くリーダーがいなくなったんです。
新たなスタイルの地主を
地主が経営者だったわけですか。
沢浦:いまのような農業の仕組みは、戦後の農地解放後の約70年間だけのもので、長い時間をかけて培われたものではありません。すごく特異な70年間であって、本来の仕組みではないと思っています。
有名どころでは、かつては二宮金次郎のように、地域を経営する人がいたんです。それ以外にも、在村地主と言われる人たちは、地域の経済を回す役割を果たしていました。そこに小作、いまで言うと社員がいて、暮らしを成り立たせる仕組みがあったんです。地主を中心とした経営があったということを、学校ではあまり教えてくれませんでした。地主が悪いことをしたので、経営とは悪いことをすることだというイメージが、戦後の教育の中で植え付けられていったのだと思います。
地主を中心に小作という労働者がいて成り立つ仕組みがあって、いまに置きかえると経営と技術と資本と労働に分かれます。労働とは社員で、経営とは経営者でありマネジメントであり、さらに技術がある。重要なのは資本で、資本を分散させるのではなく、新たな資本を生むところに再投資できるような仕組みにしなければならない。
それが戦前にはあった。そして、それが全部なくなってしまったところに、日本の農業の不幸があったと思っています。
でも、過去を否定しても仕方がないと思ってます。農地解放があったから、民主化が進んだ。それがあったから、いまの日本がある。豊かな日本を作るためには必要だったと考えるべきでしょう。
ただ、これから先のことを考えると、昔の地主を新たなスタイルで、企業家という形でよみがえらせる必要があると思います。技術、資本、労働をトータルに見てマネジメントする。それが経営なんでしょう。それができないと、地域のみんなが豊かに暮らしていくことはできないと思います。
そこには、経営があった
自ら体で覚えた農業経営論から、戦前の地主制度の再評価まで、沢浦氏の考え方を正面から伝える機会を設けたいと思っていた。インタビューで沢浦氏も指摘しているように、「戦前の地主」と言うと、小作人を搾取したという悪いイメージしか思い浮かばない人が多いかもしれない。だが、沢浦氏は、「そこには経営があった」と指摘する。
敗戦をきっかけに、戦前の日本社会の様々な仕組みや価値観が否定された。その1つが地主制度であり、農地解放は農政にとどまらず、戦後の社会政策の輝かしい成果と受け止められてきた。
その意義に疑問を投げかけるとすれば、たいていは「たくさんの小規模な自作農を生んだ」「だから、農業の経営規模の拡大が進まなくなった」という視点にとどまる。地主を否定し、小作農を自作農に引き上げたのは疑問の余地のない正義であって、地主制の意義を再評価する声を聞くことは少ない。
このインタビューをしながら、旧知の脱サラ農家の言葉を思い出した。
「農業って、みんなと同じように、ただ黙ってこつこつ努力した人が報われ、評価されるべきだという考え方が強すぎませんか」
この言葉は聞き方をちょっと変えるだけで、ニュアンスがまったく違って聞こえるだろう。「黙ってこつこつ働く」ことを美徳と考えるのは、必ずしも間違ってはいない。だが、それだけで農業を成り立たせることができる時代でもない。そこに欠けるのはマネジメントであり、地域のリーダーシップだ。おそらくはそれが「企業的なもの」なのだが、このテーマは引き続き考えてみたい。
兼業農家の急減、止まらない高齢化――。再生のために減反廃止、農協改革などの農政転換が図られているが、コメを前提としていては問題解決は不可能だ。新たな農業の生きる道を、日経ビジネスオンライン『ニッポン農業生き残りのヒント』著者が正面から問う。
日本経済新聞出版社刊 2015年1月16日発売
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