2年目から3年目にかけて農場が増えるにつれて、売り先の確保が課題になってきた。食品会社がつくった農業法人が、売り先に困るのは不思議にみえるかもしれないが、A社には当然のこと、既存の仕入れ先がある。長年つき合いのある生産者を脇にやり、子会社のつくったものを優先的に買うことはできない。

 しかもA社の先にはその製品を買う消費者がいるわけで、品質を無視して子会社の野菜を仕入れることもできない。その点をB氏に聞くと、「ばりばり赤伝を切られました」。返品伝票が回ってきたという意味だ。「栽培はほとんど全部が失敗でした」という。

 なんとか収益をプラスに転じるため、B氏は週のうち1、2日は営業や経営管理に当てることにした。「自分がワーカーのままでは会社が発展しない」と痛感したためだ。野菜の一部を提携していた生産者グループを通して販売するだけでなく、市場にも持っていってみた。だが品質を重視するのは市場流通も同じ。むしろスーパーなどに作物が回る市場のほうが、野菜のサイズなどの規格に対して厳しかった。

ベテランにはかなわない

 そして5年がすぎようとしたころ、親会社から撤退の話が来た。「これ以上続けても、厳しいのではないか」。親会社からそう言われたとき、もし利益を出すめどが立っていれば、B氏は反論できただろう。親会社はこのとき、けして突き放すような態度ではなく、何度かにわたってB氏から話を聞いた。だが、B氏も気づいていた。「農業は甘くはない」。

 では、B氏は当時をどう総括しているのか。まず、栽培技術に関し、たった数年でベテランの農家にはかなわないことを知った。B氏がつくっていたメーンの作物の1つ、ジャガイモは10アール当たりの収量が2トンを切っていた。これに対し、周囲の農家は3~4トンは当たり前で、なかには「おれは5トンとった」と話す農家もいた。

 畑が細分化していることもネックになった。確かに総面積は13ヘクタールまで広がったが、実際は約50カ所にある細かい畑の集積だった。提携した生産者グループは畑を探すのに協力してくれたが、農業を始めたばかりの相手にいい条件の畑をすんなり貸してくれる農家はそういない。畑の確保も栽培技術の向上も、新規参入者が直面する最初の課題で、企業だからそれを免れることができるわけではないのだ。