10年ほど前からの知り合いのAさんが再び農業を始めた。もともとハウスでイチゴを育てていたが、東日本大震災が起きた2011年にいったん生産から離れ、栽培指導など農業に関連する仕事をしていた。そして今年、ボロボロになっていたハウスを修繕し、トマトの栽培をスタートした。施設にはAI(人工知能)を使って栽培をコントロールするシステムを導入しており、収益性の高い経営を実現することを目指している。


今回取り上げるのは、いまも一部の農家が背負わされているであろう「家」という重荷と、そこからの脱却のストーリーだ。廃虚になりかけていたハウスの再生が、家からの脱却を象徴する。
Aさんは兼業農家の出身で、いま40代前半。地方の大学に進学していたが、卒業するときに父親から「家に入れ」と言われ、就農した。「息子は家を継ぐのが当然」という空気の中で育ったため、就職してサラリーマンになるという選択肢はなかったという。
実家に戻ると、父親と一緒に野菜作りを始めた。子どものころから農作業を手伝わされていたので、基礎的なことは体に染みついていた。それでも、2人で畑に出ると、父親からはことあるごとに、「ここはこうしろ」「あそこはああしろ」といった指図を受けた。
半年ほどたったとき、「おやじとは違うことをやろう」と決めた。「このまま小突き回されていたら、嫌になってしまう」と思ったからだ。選んだのはイチゴのハウス栽培。施設園芸のほうが収益性が高いと思ったからだ。
新たな作物への挑戦だったため、父親とは別の「師匠」のもとで学ぶことが必要になった。そこで、他県の有名なイチゴ農家に「弟子入りさせてください」と頼み込み、1年間修行した。桐の箱に入れた30粒のイチゴが1万円の高値で売れるような、高い技術の持ち主だった。
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