「日本の農業は成長できる」「農業が国際競争力を持つのは無理」「農業は企業に脱皮すべきだ」「農業を担うのは今後も家族経営」「悪いのは農協」「農協しか農業を救えない」などなど。それぞれの論点で論陣に分かれ、妥協を許さないような厳しい批判を応酬する。

 「どちらにも一理ある」といったあいまいな議論をしたいわけではない。だが、食料と農業の問題はどうやっても単純に割り切ることができない面がある。そもそも食料と農業の問題は別物だからだ。

 農家の経営環境にとってもっともラッキーなことは、極論すれば自分以外の多くの農家が廃業することだ。収益性は格段に高まるだろう。いま現実に進行しつつあることはそういうこと、つまり生産基盤の弱体化だ。だが、国民の食料問題の観点から見て、それがハッピーなことであるはずがない。逆に言えば、食料が捨てるほど余っているから、農業経営はこれほど深刻になった。戦後の食糧難までさかのぼれば、両者は同じ土台の上でシーソーゲームを演じてきたようなものだ。

 今後の農政の方向を考えるうえで出発点になるのは、生源寺氏が指摘するように防衛ラインを決めることだろう。農協改革と比べて政治的にはるかに重圧を伴うテーマだろうが、それが明確にならないと、今後どんなタイプの農業と農家と農業技術が必要になるのかを考える手がかりがつかめない。もちろんそれは、一部の政治家と官僚が密室で決めるべき課題ではない。

 生源寺氏が語るように、だらだらと議論すべきときではないのは当然だ。かつてのように、審議会が役所のかくれみのになるのも論外。だが一方で、腰をすえ、オープンな形でグランドビジョンを描かない限り、食料と農業という共通の土台のもとにはあるが、性質の異なる重い課題にバランスを持って応えることはできないと思うのだ。

求められる農政のグランドビジョン
■変更履歴
記事掲載当初「種苗法」としていましたが「種子法」の誤りです。本文は修正済みです。お詫びして訂正します。 [2018/8/10 21:00]