いまの状態でいくと防衛線もなにもなくて、どんどんドミノ倒しで崩れていってしまう恐れがある。地形や鳥獣被害の問題は地域ごとの事情があるから、線を引く際は、現場の専門の農政担当者を交えて議論する必要がある。そのうえで「ここは10~20年後は撤退する」と決め、防衛線から下の部分は絶対に守る。そういうことを考えるべき時期に来ている。

 いまは一種の印象論的な話で終わってしまっていて、国としての大局的な方針がない。ある意味、「全部守る」みたいな話で、言っている人はそれでいいかもしれないが、実際は難しい。

どうやって「耕す人」を確保すべきでしょう。

生源寺:いまや20代から40歳くらいまでの新規就農者の半分くらいは非農家の出身で、農業法人への雇用就農が大勢いる。農業に関して変な先入観のない若者たちだ。法人に就職する前に大学の修士課程を修めている人も出てきている。働き盛りでやる気のある人が農業の世界に入ってきていて、農作業をするのが農業という感覚ではなく、経営者として育っていく。

 全体として非農家の出身者が増え、しかも自分の生まれたところではない場所で農業をやる人がたくさんいて、有機農業に魅力を感じている人も大勢いる。新しい世代の農業教育のあり方を考える必要がある。若者や子どもも含めて次の世代を育てるための農業教育だ。結局、食料の問題は、技術や土地を使うことのできる人間がどれだけいるかという点に尽きる。

都市近郊では市民農園が盛んです。あそこでサラリーマンをリタイアしたシニアと孫が一緒に農作業したり、祖父母の作った農産物を孫が食べたりすることで、将来の担い手の芽を育むことができるのではないでしょうか。

生源寺:まったく同感。すでに新規就農者の半分は60歳以上だ。会社勤めをやっているときは農作業を妻に任せていた人など、いろんなタイプはあるが、そういう人たちが小ぶりの農業をやったからと言って、全体の構造改革にブレーキをかけるほどのものとは思えない。父母は農業にまったく関係していなくても、祖父母が農業をやっていたことで農業に興味を持ち、農業の道を選ぶ人がけっこういる。

 祖父母と土に触れることが持つ意味はものすごく大きい。問題はそこからどうやって農業に進むかだが、たとえ農業のことを選ばなくても、農業のことを理解する人が広がることじたいに意味がある。

現政権は農業を成長産業にすると言ってます。

生源寺:成長が実現するのは悪いことではない。それぞれの経営者がそれぞれベストを尽くし、できるだけ早くいい成果を出そうとするのは当然のことだ。だが、国の政策として、本当にそれでいいのかと思う。

 30年間で獲得可能なパイがあるとして、それを最初に全部持ってきてしまうということは、例えば次の20年に非常に大きな負担をかけることがあるということを考えるのが、国ではないかと思う。

 ぐんっと上げるだけ上げてというのは、果実をばらまくという政治的な意味ではいいのかもしれない。だが、国の本当のあるべき姿として見ると、じわりじわりの成長というくらいのことを考えるべき時期に来ていると思う。

 食料問題と農業問題のつながりという話で、きちんと説得力のある提案ができるかどうかだ。幸いこの国の国民、若い人も含めて食べ物に対する思いは依然として高いと思う。それこそ食品産業の就職人気も高い。

 食に対する強い関心というものがある。それを最近の一部の週刊誌みたいに変な取り上げ方ではなく、正攻法で食料問題と農業問題のつながりをきちんと伝えるべきだと思う。新基本法じたいそういうものとして作ったはずだ。ただ、農政は基本法というものを意識しているのだろうか。

 「近年に始まったことではないが、農業や農政をめぐる議論には白か黒かの二項対立図式の言説が多すぎるように思う」

 生源寺氏が著書「日本農業の真実」(2011年)に記した一節だ。農業と農政が抱える問題を示す言葉として、これほど的を射た表現は少ないと思う。

筆者がくり返し読んだ生源寺真一氏の「日本農業の真実」