多くの農地を農地バンクを通して集積すると言っているが、それを実現して見せるために協力金を使っているとしか思えない。いまの政権のもとで農政でこれだけ成果が上がったということを示そうとしているのだろう。

農地問題は、10~20年のスパンで見ればなるようにしかならないものだと思う。「うちではとても耕作できないから、誰かに作ってもらいたい」という農家がいて、その農地を担い手が引き受ける。受け手のほうにしても、あまりにたくさんの農地が来たら危ないと考えるものだ。責任を持って規模拡大のテンポを決めることができるのは、経営者だ。

農政は食料政策の意識が低くないですか。

生源寺:1961年制定の旧農業基本法は、経済成長にどう農業の発展を適応させ、農家の所得を増やすかを目標にしていた。これに対し、新しい基本法は国民がまずあり、国民のための食料政策が必要だということを基本にすえた。

 良好な環境の形成など農業生産活動の多面的機能の恩恵を受けるのは、基本的には非農家、あるいは国民全体だ。農村には非農家の人もけっこう多い。新基本法は農業の外側の人たちをかなり念頭に置いた組み立てになっている。食料政策と農村政策、農業政策を分け、その中でも食料政策を前面に出したことじたいは画期的だった。

 2007~2008年に国際的な穀物相場が高騰したことは、国民の関心を高めるうえで意味があった。その後は南米の生産力が向上するなど割と生産が順調なのはラッキーなことなのだが、食料についてはリスクを考えておく必要がある。最近の災害でそのことを局所的に経験している。

 いま食料は選ぶのに迷うほどあるが、絶対的な必需品だということを再認識すべきだ。じつはそれを政策の担当者が再認識することが大事で、そうすることでいろいろな発信があり得る。

食料・農業・農村政策審議会の会長を務めていた2015年に、新たに食料自給力という概念を打ち出しましたね。試算によると、栄養バランスを考えず、国内の農地でイモを中心に作れば、国民が必要なカロリーを28%上回るが、栄養バランスを考慮してコメや麦、大豆を中心に作ると必要なカロリーが30%不足するという結果が出ました。

生源寺:(国民の食料を実際にどれだけ国産でまかなっているかを示す)食料自給率が下げ止まっているのと対照的に、自給力は下がり続けている。そのことを示そうとしたが、「危機感をあおるため」「またやってるよ」という言い方をした全国紙もあった。

自給率はいろんな要素が関わっていて、分母になる「食べる量」が減っているので、率が高まるというファクターもある。これに対し、(食料の潜在的な供給力である)自給力を示したのは意義のあることだと思っている。ただ今回は一定の条件を与え、数学の問題を解くように農水省が試算した。今後は栄養学や医学関係の人も入れて、もっと深い議論をすべきだと思う。

 ところが、農水省はあれ以降、自給力のことをあまりアピールしていないように見える。国民にとって食料とは何なのかということを、もう一度、真剣に考える役所になることが必要だ。平成時代に入ってからのほうが、食料の供給力の点では深刻だということを伝えるべきだろう。

イモが中心の食生活でも、いずれ十分なカロリーを供給しきれなくなる恐れもあるのではないですか。

生源寺:そうなる可能性はある。緊急時に農地に戻すことができる土地を含め、農地を耕す人がいるという前提で計算している。仮に全農地の3分の2しか耕すことができないなら、あっという間に事態は変わってしまう。

 耕作放棄地の問題に関して言えば、中山間地とくに山間地域の多くはずっと農産物を作り続けるのは難しいと思う。むしろ防衛線を決めるべきだ。

 耕している人がいるうちは、道路を最も奥の集落までつないでおき、フローの供給を続ける。例えば、高齢の夫婦がいるうちはサポートする。ただ、投資をして次の世代まで農地を守ることについては断念するという決定をしなければならない。ここまでが防衛線で、ここまではいま住んでいる人がいなくなったら後退するということを決める。