食品が日々、捨てられていることを多くの人は感じているだろう。だが統計を見ると、その量が想像を大きく上回っていることに驚かされる。農水省によると、まだ食べられるのに捨てられた食品の量は、2015年度の推計で646万トン。国連の食糧支援機関「国連WFP」による世界全体の食料援助量が320万トンだから、その2倍の量を捨てていることになる。

 食品の「廃棄の現場」は広範だ。646万トンの内訳を見ると、食品メーカーが140万トン、小売りが67万トン、外食が133万トン、卸が18万トンを占める。廃棄の理由は売れ残り、規格外品、返品などだ。だがじつは廃棄が一番多いのは家庭で、289万トンに達している。食品ロス問題は、消費者を含めた多くの人が「共犯」の関係にあるのだ。

 日本人は「国産志向」だとよく言われる。例えば、スーパーで野菜を買っている人に「日本の食料自給率は4割です。どう思いますか」と聞けば、「心配です。国産を買って応援します。子どものためにも、中国産は買わないようにしてます」などと答える人がいるだろう。これは、中国産が本当に「危ない」かどうかとは分けて考えるべき問題だ。

 だがこうした消費者の中で、総菜を買うときや、レストランで食事をするとき、国産かどうかを確かめる人がどれだけいるだろう。おそらくは、「自給率が低いから心配」というのはうわべだけの反応で、まだ食べられる食品を捨てまくっている飽食の国だと「腹の底」ではわかっているのだ。戦後の食料難のときの「もったいない」の精神は遠い過去の話になってしまった。

 では、日本の歴史上、国民が初めて経験しているこの「ぜいたくで幸せな時間」はいつまで続くのだろう。確かに今のところ、食品は捨てるほど余っている。だがその中には大量の輸入食材も混じっている。そしてその陰で、静かに危機が進行している。国内の生産現場の崩壊だ。

 農水省の調査によると、2015年の耕作放棄地の面積は42万3千ヘクタール。25年間で2倍近くに増えた。

耕作放棄地。この写真を撮っているとき、棒を持った子どもににらまれた。

今も記憶に残る子どもの険しい表情

 放棄地は農村に行けばいたるところにある。田んぼや畑の近くに雑草が茂った一画があれば大抵は放棄地だ。一般の人は注意を払わないと気がつかないが、まじめな農家は目ざとく気づいて眉をひそめる。誰も耕さなくなったそういう農地が、富山県の面積に匹敵する広さにまで拡大した。

 ある中山間地で、棚田の放棄地を取材したことがある。かつて田んぼだった場所を前に写真を撮っていると、小学生くらいの子どもが走ってきて、長い棒を両手に持ち、筆者をにらんで仁王立ちになった。案内してくれた農協の職員によると、棚田の地権者の家の子どもだという。