ブランドとはいったい何だろう。それぞれの分野のオピニオンリーダーたち、最近の言葉で言えば「インフルエンサー」がその価値を認め、共感した一般大衆が「財布のひもをゆるめる」。あるいは逆のプロセスをたどり、ふつうの人の口コミで人気に火がつき、ヒット商品になることもある。企業はその両方を視野に入れながら、あの手この手で商品の差別化を目指す。
ブランド化はコモディティー化の対極にあり、成功すれば商品やサービスを高値で売ることが可能になる。企業はそれを目指し、エネルギーを注ぎ込む。当然、農業もそのらち外にはいない。ただし農業の場合、「適地適作」という言葉が示すように、ブランド競争の戦列に加わることのできる産地は気候条件に応じて品種ごとに限定される。だがその例外がある。コメだ。
今回は、コメのブランド化で揺れる産地の様子をお伝えしたい。舞台は熊本県。かつてはおいしいコメの産地と言えば、「魚沼産コシヒカリ」を擁する北陸地方や、コシヒカリが台頭する以前の「覇者」、ササニシキの主産地の東北地方などが代表だった。だが温暖化による気候条件の変化や、様々な気候条件に対応できる品種開発の努力の成果で、いまや北海道から九州まで日本中でおいしいコメを作ることができるようになった。
熊本県もそうした産地の1つ。ブランド化の対象となっている銘柄は、「森のくまさん」と「くまさんの輝き」の2つだ。
熊本県の良食味米、「森のくまさん」と「くまさんの輝き」(熊本市にある直売所「you+youくまもと農畜産物市場」)
コメをブランド化するため、各産地が競い合っているのが、日本穀物検定協会が毎年発表する食味ランキングだ。評価は「特A」「A」「A’」「B」「B’」の5段階に分かれており、産地が目指すのが最上級の特Aの獲得だ。
森のくまさんは、2010年に特Aを獲得したあと、2012年には特Aの中で最も高い点をとり、「日本一おいしいコメ」として一躍ブランド米の一角に躍り出た。具体的な数字は明らかになっていないが、当時は検定協会のスタッフが「どれが一番点数が高かったか」を説明する習慣があり、森のくまさんは「天下の魚沼産コシヒカリ」を制して一位の座を占めた。
そのころはコメのブランド競争は今ほど盛んになっておらず、少なくとも関東では「九州でおいしいコメができる」という印象はあまり強くなかった。長年東北や新潟の印象が優位に立つ中で、「特Aの中で最高」の評価はブランドのイメージを一新するうえで十分なインパクトがあった。当時、熊本県の女性職員が銀座のデパートで森のくまさんが山積みになっているのを見つけ、「うれしくて涙が出ました」と語っていたのを思い出す。
日本一の称号を得て噴出した弊害
ところが、日本一になったことが、森のくまさんのブランド価値の向上の足を思わぬ形で引っ張ることになった。実際に食べてみた一部の消費者から、「これが本当に日本一のコメか」という疑問の声がわき上がったのだ。もともとは、コメの主産地を抱える鹿本農業協同組合(JA鹿本、山鹿市)などが育ててきた品種だった。日本一の称号を得たことで、県内のあちこちで森のくまさんを作るようになったことが原因との指摘もある。
ここは「産地」という単位で味を競い合う食味ランキングに伴う難しさだ。検定協会のホームページには次のようにある。
「米の食味ランキングは、主な産地品種銘柄について、当協会がその供試試料を食味試験した結果に基づいて評価するものであり、流通するすべてのお米を評価しているものではありません」
言わずもがなのことだろう。それでも、特Aの冠が生産者と販売業者、消費者の間で一人歩きし、取引の材料になるのを避けるのは難しい。
コメの食味テスト風景(写真提供:日本穀物検定協会)
厳密に言えば、同じ品種を作っても農家の腕によって味は変わる。同じ農家でも、田んぼによって微妙な差が出る可能性もある。だが、そこまで細分化してしまってはまとまった量を確保することができず、ブランドを成立させにくい。そこで、「産地」をどこまで広げるかが焦点になる。
森のくまさんの場合、日本一になったことを受け、熊本県内で作付けが広がった。特Aはブランドの象徴であり、売価にもプラスに働くので、作りたくなるのは当然のことだ。だが、広い地域で新たに作り始めると栽培経験の差が出たり、気候条件の違いが影響したりして、食味を統一することが難しくなる。森のくまさんでも、そうした点が食味に響いた可能性がある。
さらに追い打ちをかけたのが、特Aからの転落だ。2010年から5年続けて守ってきた特Aの座からすべり落ち、15、16年はそれぞれA、A’の評価になった。一部の消費者から一時的に疑問の声が出たとは言え、特Aであることは、森のくまさんのブランド価値を支えてきた。それを失ったショックは大きかった。
「今後どう対応すべきか」。動揺が広がる稲作関係者の頭にあったのは、俗に言う「平成30年問題」、つまり2018年の生産調整(減反)廃止への対応だった。そこで選択肢がもう1つ浮上した。熊本県が新たな良食味の品種として、くまさんの輝きを推奨し始めたのだ。
県が視野に入れていたのは、まさに減反廃止だ。減反廃止で各産地が増産に走れば、米価には下方圧力がかかる。だから価格競争から距離を置くことのできるブランド米が欲しい。ところが、肝心の森のくまさんは特Aの座を失ったうえ、高温に弱いという難点もある。その点、くまさんの輝きは高温にも強い。県はこの新たな品種を「リーディング品種」と位置づけた。
ブランド化に向けたルール策定
森のくまさんと同じ轍を踏むのを避けるため、県と農協、コメ卸などが話し合って産地を絞ることも決めた。「推進ガイドライン」で、標高100~300メートルでの生産を中心することにしたのだ。コメは一般に寒暖の差が大きい山あいで作ったほうがおいしくなるとされている。そこで、平地と高冷地を除く地域で作るよう定めたのがこの基準だ。農薬と化学肥料の使用を減らす特別栽培を原則とすることも申し合わせた。安全・安心や環境への配慮を求める消費者の需要に応え、ブランド化するためのルールだ。
本格デビューは減反廃止の2018年。その前年、2017年のランキングでは参考品種の扱いながら、特Aを取ることにも成功した。森のくまさんを育ててきたJA鹿本でさえ、「全面的にくまさんの輝きに移行すべきではないだろうか」という声が出た。ところが、土壇場で事態が再び急転した。森のくまさんが同じ年に特Aに返り咲いたのだ。
これで、JA鹿本は森のくまさんをやめ、新たな品種のくまさんの輝きを武器に減反廃止に突入する決断ができなくなった。いくら県が推奨し、参考品種として特Aをとっても、消費者にとって、くまさんの輝きはほとんど無名の品種。これに対し、熊本県の職員がかつて喜びの涙を流したように、森のくまさんは首都圏でもそれなりに知名度が高まっているからだ。
「くまさんの輝き」はまだ希少な品種(熊本市にある直売所「you+youくまもと農畜産物市場」)
結論から言うと、JA鹿本は2018年の森のくまさんの作付面積を前年並みの450ヘクタールとし、くまさんの輝きは15ヘクタール程度にとどめることにした。「生産者がある程度納得できる価格を示せないと、作ってもらうことはできない。だが、消費者に好まれないと、値段は高くならない。森のくまさんを減らしてまで、くまさんの輝きを作ってくれとはまだ言えない」。JA鹿本の担当者はこう語る。
当然の判断だ。作り手が「これがリーディング品種です」といくら言ったところで、ブランドが成立するわけではない。コメの味の専門家か、消費者の口コミによる評価があってはじめて、特定の品種がブランドとしての価値を帯びることができるようになる。「森」がダメだから「輝き」と言って誘導しようとして、ブランドがすぐにでき上がるほどマーケティングは甘くはない。
高機能炊飯器、ブランド競争困難に
しかも、今や特Aが期待ほどブランド化を支えるかどうかも疑わしい。2017年産は43の産地・品種が特Aに「輝いた」。Aにいたっては76。これに対し、BとB’はいずれもゼロ。品種開発と栽培技術の両面で研究機関や生産者が努力を重ねた結果、多くのコメが十分においしくなった。様々なコメをおいしく炊くことのできる炊飯器が続々と登場していることも、コメのブランド競争をいっそう困難なものにしている。
今回はここまで。特Aを手がかりに、コメの味を向上させようと努力する産地の努力を否定するつもりはまったくない。味が優れ、高温にも強いくまさんの輝きは、熊本産の地位を高める可能性を十分に持っている。生産者がそうした努力をいとわない日本の稲作は、消費者にとってとてもハッピーなことだ。ただその結果、特定の品種が安定して優位に立つことはますます難しくなっている。
この先、産地の対応は様々に分かれていくだろう。別格のブランド米を持ち、その「威光」のもとで、マスマーケットを狙う「普及版」の品種を持つのが理想。多くの産地と同じように、熊本県もそれを狙う。一方で、特色を出すことができず、他の作物への転換を迫られる地域が出る可能性もある。マクロで見てコメが余っている現状に照らせば、それが健全な姿だろう。今回のテーマからはそれるが、農地の保全と食料問題への対応は他の観点から考えるべきだと思っている。
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