JR渋谷駅から歩いて10分ほど、高級住宅街・松濤の入り口のところにレストラン「WE ARE THE FARM」はある。料理に使っている野菜は、どれも農薬と化学肥料を使わずに育てた固定種の野菜。千葉県佐倉市にある自社農場の「在来農場」で栽培している。店舗と農場を運営している会社は「ALL FARM」(東京都渋谷区)だ。今回は、若いアイデアとエネルギーがあれば、新しい農業ビジネスを生み出せることをお伝えしたい。
ALL FARMは高校と大学が一緒の古森啓介さんと寺尾卓也さんが共同で立ち上げた。2人は学生時代、「いつか一緒に食に関連する仕事をしよう」と話していた。その思いを実現するため、古森さんが和食店、寺尾さんが農場で修行を積んだうえで、まず2013年に佐倉市に農場を開き、翌年、代々木上原にレストランの1号店をオープンした。農場は今や6ヘクタールと有機栽培では大規模と言える大きさになり、栽培している野菜の種類は150を超す。店舗も都内6カ所に増えた。
「固定種は形は不ぞろいだがおいしい」と話す「ALL FARM」代表の古森啓介さん(東京・松濤の「WE ARE THE FARM」)
ボリュームたっぷりのメニュー「畑の鉄板焼きバーニャカウダ」(東京・松濤の「WE ARE THE FARM」)
本題に入る前に、取材の際に古森さんとの間で発生した微妙なやり取りを紹介しておきたい。「寺尾さんが農場を開き、古森さんがレストランをオープンした」という筆者の理解に対し、古森さんが「自分が畑に行くこともある。畑とレストランが別々のような書き方をしないでほしい」と訴えたのだ。
「寺尾さんがレストランに行くこともあると聞いてます。でも2人の経歴を考えたら、そういう書き方でも問題ないんじゃないですか」
「いや、2人とも両方を担当してます」
正直のところを言えば、筆者の頭の中には「2人の役割を明確に分けたほうが書きやすい」という発想があった。記事を書くときに往々にして起きることだが、「記者にとっての書きやすさ」や「読者にとってのわかりやすさ」を優先し過ぎると、本質を見誤る。しばし押し問答が続いたあと、古森さんが次のように語ったことで、真意がはっきりした。
「契約栽培のように受け止められたくないんです」
問題が、2人の取り組みの核心部分に関わっていることがこれではっきりした。就農した若者が、学生時代の友人が開いたレストランのために野菜を出荷しているわけではない。別の言い方をすれば、店と畑の間で取引しているわけではない。レストランと農場は一体。だから店名は「WE ARE THE FARM」なのだ。わかったつもりで記事を書こうとして、彼らが経営でもっとも大切にしている部分への理解が十分ではなかったことを反省した。
食品の製造過程への興味から見えたもの
本題に入ろう。2人に取材していて面白かったのは、事業のミッション性への思いと、プラグマティックな冷静さ、2人を含めたメンバーのモチベーションの維持の3つが絶妙なバランスをとっていることだ。
先述したように、古森さんは将来の起業を視野にまず和食店で修行した。場所は都内にある懐石料理の高級店。古森さんはそこで働きながら、いろんな食品の製造過程に興味を持ち、「ふだん何気なく食べているものが、どうやって作られているのか」を調べてみた。「もちろん全部ではありませんが」と前置きしたうえで、次のように語った。念のために強調しておくと、古森さんが修行した和食店のことを言っているわけではない。
「廃棄処分になりそうな野菜を漂白剤のプールに入れ、添加物をいっぱい入れて加工して、安値で売られているものがあります」
筆者が自ら取材した例ではないので、具体的な商品名は避けるが、古森さんは和食店での修業時代、「自分たちがふつうに食べてるものの中には、そんなものも混じっている」と気づいたという。ある水産加工物について勉強したときは、魚市場の関係者から「自分たちは絶対食べない。ゴミみたいなものだ」と言われたこともある。販売されている以上、健康を損ねるものではないと思うが、事実を知る人が好んで食べたいと思わないのも確かなのだろう。
古森さんが当時感じたことは、いまの畑と店舗の運営の考え方の背景にある。野菜作りで農薬や化学肥料は使わない。店舗で調理するときも、野菜に過剰に手を加えず、素材の魅力がシンプルに伝わるように工夫する。
「ALL FARM」が自社の畑で育て、レストランに出している野菜が固定種であることは先に触れた。農産物のタネは、固定種とF1種に大別される。いま栽培されている作物の大半はF1種で、種苗会社が味や形、栽培期間などを計算し、親株を交雑してタネを作る。育った作物は見事な均一性を保つが、それを交配すると、親の代のバラバラな形質が顕在化し、品種の特性が失われる。だから農家は毎年、種苗会社から同じタネを買うことになる。
これに対し、固定種は農家が代々育ててきた品種だ。「一代限り」で形質を表現するF1種と違い、交配しても品種の特性は一定の幅で保たれる一方、種苗会社が計算して作るF1種ほど画一的ではない。今は少数派になってしまったが、F1種が登場する前はすべて固定種だった。昔ながらの有機運動なら、それだけで動機は十分だろうが、古森さんはこうも強調した。
「単純に固定種はおいしいし、守っていきたい」
2人の解釈によると、今と違って遠隔地間の大量物流が存在しなかった時代、農家は「おいしさ」で品種を選んだ。ところが量販店が主導する大量流通がメーンになったことで、輸送に耐えない「味はよくても、もろい野菜」は除外され、形や重さが均一で扱いやすい野菜の商品価値が増した。産地で聞くと、「味を追求している」と言うだろうが、2人が言いたいのはそういうことではない。おいしさが最上位の価値になっていないのではないかという問いかけだ。
おいしくなければ価値は伝わらない
言葉というものは、正直なものだ。古森さんが「単純に」と前置きしたのは、「固定種を守る」というミッション性だけではビジネスは成立しないと考えているからだろう。顧客にいくら複雑なことを訴えても、おいしくなければ価値は伝わらないという自覚が背景にある。
このあたりの事情についてはレストランのオープンに先立ち、農場を開いた寺尾さんもリアルな言葉で説明してくれた。「100人のお客さんがいて、固定種であるということが本当に響いているのは5人くらいだと思います」。この5人は「野菜が本当に好きな人で、その良さを伝えてくれる人」ではあるが、それが実現するにはやはり「おいしいということが大前提になる」。
「種取りには自分たちで選抜できる楽しさがある」と話す寺尾卓也さん(千葉県佐倉市の「在来農場」)
関連するのが、F1種と違い、形質にバラツキがでる固定種の扱い方だ。形がまちまちな固定種は大量流通に乗りにくいが、味に差があるわけではない。寺尾さんは「多少形が違っても、どれも同じようにおいしく食べられる場所を作れば成り立つ」と話す。レストランと農場を一体として考えてほしいと古森さんが訴えた意味も、これでいっそう鮮明になる。鮮度を保ち、おいしく食べてもらうため、畑と店の距離も車で1時間半以内にした。
一方で、「味の追求」という戦略上の合理性だけにフォーカスしてしまうと、抜け落ちてしまうものがある。「ALL FARM」の主力の野菜の1つがケール。寺尾さんによると「葉っぱの量や巻き方、茎がつるつるしているかどうか」など株ごとに違いが出る。その中から担当者が気に入ったものを選び、翌年のために種取りする。「それが楽しい」。これは効率性を追求し、仕事を楽にするというのとは別の意味で、2人を含めたメンバーのモチベーションになる。
主力の野菜のケール。株によって形が違う(千葉県佐倉市の「在来農場」)
「農業って単調になると、面白くなくなると思うんです。人のタイプにもよりまずが、人間が関わっている以上、あまりにも均一化すると魅力がなくなってしまうんじゃないでしょうか」
店も畑も窮地からのスタート
こう書いてくると、若い2人の戦略がことごとく当たったかのように感じるかもしれないが、ここまで順風満帆だったわけではない。当然のことだが、代々木上原駅の近くにぽつんと開いた1号店は当初はまったく無名。古森さんは「始めてから3、4カ月で会社の資金が残り2万円くらいになりました。家賃を払うのも難しかった」と当時のことをふり返る。
この窮地を救うことになったきっかけは、いかにも現代風だ。誰もが知る有名なタレントや歌手、俳優が店に通うようになったのだ。広告を出したり、芸能事務所にアプローチしたりしたわけではなく、たまたま彼らが気に入ってくれた結果だ。ブログで紹介してくれたり、インスタグラムで発信してくれたりしたタレントもいた。ケールを前面に押し出すレストランが当時は少なかったことが、野菜にこだわる著名人をひきつけるのに一役買った。雑誌の取材も入るようになり、固定客が少しずつ増えていった。
畑のほうも当初は苦戦した。はじめは「固定種、無農薬、無肥料」の3つを条件に栽培を始めていた。つまり、有機肥料さえ使っていなかった。寺尾さんの研修先のうち、そういう作り方をしている農場の野菜が一番おいしかったからだ。ところが研修先ではうまくできていたのに、自分でやってみると「見たことがないようなことが起きた」。野菜がたくさん枯れてしまったのだ。
「めちゃくちゃ危機感を持った」という寺尾さんは、悩みながらも自分のこだわりを捨てることにした。「一から勉強し直して、肥料をやってみよう」。寺尾さんはそのとき、次のように思ったという。
「肥料をやるかやらないかなんて人間の側の話で、野菜には関係がない。野菜が肥料を欲しがっているなら、あげればいい」
店名に込めた決意
まず取り組んだのは土作りだ。畑に堆肥を入れるなど、土作りを始めた時点で、肥料を使うことさえ否定する自然農法からは逸脱する。だがその結果、野菜が見違えるほど元気に育つようになった。野菜が元気になると、病害虫への抵抗力も増した。「もっと出してくれ」というレストランからのリクエストに、ようやく応えられるようになった。
今回はここまで。最後に、冒頭で紹介した松濤のレストランに戻ると、店内の仕切りやカウンターは畑で使うケースを積み上げて作ったものだ。壁に掲げたオブジェは畑のスコップ。それらが違和感なく、とても洗練された空間を作り出し、顧客はそこでボリュームたっぷりの野菜のメニューを楽しむ。2人の取り組みを聞いたうえで店内をながめると、「WE ARE THE FARM」という店名に込めた決意が浮かびあがる。
壁に掲げたスコップのオブジェ(東京・松濤の「WE ARE THE FARM」)
「食を通して社会に対して何かできないか」という思いから出発した2人は自分たちが大切にする価値を、「おいしさ」をキーワードに顧客に伝えるナローパスをたくみにつないで見せた。もちろん、事業を軌道に乗せるための方法は千差万別で、2人の真似をすればうまくいくわけではない。2人の挑戦がどこまで発展するかもまだ未知数だ。だが、「農業が好きだ」という思いだけで就農して売り先に困ったり、「農業はもうからない」とこぼしながら他にあてがなく長年続けたりするだけが農業の現実ではない。2人の取り組みに農業の新たな可能性を感じた取材だった。
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