ではなぜ沖縄を視察したのか。理由はたとえ「社会的要請」はなくても、政府が補助金などで様々にバックアップすることで、一時的にコストが下がり、日本の農産物が沖縄から海外へと出て行く可能性はある。だから、「1年、5年、10年のタームでどう動くかを確認しておきたい」という。

ベトナム進出2つの狙い

 ここからが本題だ。「こちらがベトナムで事業を展開するうえで、必ず沖縄を拠点にした国際ハブ物流が土俵に上がってくる」。日本からの輸出は現地生産と競合する恐れがある一方、市場開拓の先鞭をつけてくれる可能性もある。「まず『日本のモノっていいよね』って思ってもらうことが大切。そして、日本でつくられたものと遜色のないモノを、となりの棚に並べることができれば、マーケットを開拓するうえで非常に有利になる」。

 というわけで、田中氏は「ベトナムでの事業展開」に着手している。海外の市場調査を始めたのが、4、5年前。事業化の第1弾となったベトナムでは、現地の上場企業と合弁で会社をつくり、昨年から栽培を本格化させている。現在、約7ヘクタールのハウスで花を育てており、さらに施設栽培と露地で野菜の生産を広げ、5年かけて300ヘクタールに拡大することを目指している。

ベトナムの連携農場と話す田中氏(右から2人目、ラムドン省のダラット高原、写真は田中氏提供)

 「いつつぶれても、おかしくないと思ってました。苦しくて苦しくて、仕方がありませんでした」

 インタビューで、創業時の苦難を田中氏はこんな言葉で表現した。そのとき直面した問題をどう洗い出し、いかに解決したのかを前回解説した(4月28日「農業も『ボーナス4カ月、週休2日』は可能だ」)。時計の針を現在に戻せば、「いつつぶれても、おかしくない」という段階はとっくに過ぎ、事業は海外に羽ばたいているのだ。

 ベトナムに進出した狙いをたずねると、田中氏は「答えは2つあります」としたうえで、「1つは日本の農業を守るため。2つめは日本の農業と食産業をもっとアジアに広めるため」と話した。後者はすぐに想像がつきそうな答えだが、田中氏が真っ先に挙げたのは「日本の農業を守る」ことだった。