以上、サラダボウルグループの現状を職員の待遇を軸に概観した。だが、モラルの高い製造業の工場のような整然としたいまの運営にたどりつくまでには、さまざまな苦労があった。ここで時計の針を、田中氏がサラダボウルを立ち上げた2004年のころに戻そう。

「苦しいのは当たり前」という勘違い

 「『農業をやりたい』って入ってきてくれた人たちの情熱と夢を食いつぶしてました」。当時のことを語るとき、田中氏の表情に悔恨の色がよぎる。

 「畑をつくっているつもりで、うまくいかず、雑草ばかり出てくる。そんな畑ばっかりで、手が足りなくて、お金をかけて耕して肥料を入れて、お金をかけて管理をして、お金をかけて収穫したら、そのほとんどが廃棄するしかないものばっかり」。創業のころの現場の混乱ぶりを、こんな言葉で表現する。

 「昨日と今日、今日と明日の境目がわからない。11時に寝て、翌朝5時から仕事。そんな会社が長続きするわけがない」。金融の仕事でさまざまな会社を見てきた田中氏だからこそ、自分の会社がいかに厳しい状況にあるかがリアルにわかったのだろう。「先が見えない。やってもやっても、もうからない」。

 最大の理由は、人が育っていなかったことだ。前回書いたように、一生懸命農業をやる姿を見て、農地は集まってきた。売り先も増えた。だが、「農業をやりたい人ができる人に変わる前に、どんどん拡大してしまった」のだ。このころ、田中氏は「ものすごく大きな勘違い」をしていた。「農業だから苦しいのは当たり前。それができないなら、やめればいい」と思っていたのだ。

 これこそ、サラダボウルグループがいま全力で改めようとしている農業界の古い発想だ。大勢の若者が研修に来て、才覚のある人が農場に残り、経営を支えてくれた。それで、「人材育成をしている」と思っていた。だが当時、ある教育関係者に指摘された。「あなたのやってることは、人材育成でも教育でも一切ない」。農業界全体にいまも残る課題だろう。「脱落者を出しながら、できる人だけを選び出していた」。

 田中氏が率直に話してくれたので、反省の弁をもう少し続けたい。「いまのコアメンバー以外、ほとんど辞めてしまった」。例えば、あるスタッフが独立し、就農した。当時は「独立させた」と思っていた。だが、いま考えると実情は違う。「『どう考えても、ここにいても未来はない。だから自分でやる』。そう思って、辞めていったんです」。