農業取材を始めたころ、いくつかの先入観を持っていた。農業をダメにしたのは農協で、兼業農家は否定すべき存在、企業がやれば農業はうまくいく――の3つだ。この連載の1回目が「『兼業農家が日本を支えている』と強弁する罪」(2013年8月23日)というタイトルだったことを思い返すと、ずいぶんステレオタイプな見方をしていたものだと恥ずかしくなる。
農業の側からすれば、あまりにも偏った見方と思うかも知れないが、一方、農業を外から見ている側には今も似たような考え方が少なからずあるように思う。そして筆者にとってこの連載の継続は、そうした表面的な見方を現場の取材と発信を通して改めていくプロセスでもあった。
農協の中にはがんばっているところも、そうでないところもある。それは、会社組織になった農業法人も同じことだ。農協でときに見られる閉鎖的で同調圧力を求める体質は、農協という組織に根ざす問題というより、農村社会を覆う空気を背景にしているケースが少なくない。そしてそれは、都会で働くサラリーマン社会とまったく無縁なものとも思えない。
残りの2つの論点に移れば、兼業農家は技術と経営の両面でイノベーションを起こすことはできなかったが、日本の社会の安定と食料供給に貢献してきた。連載で具体例を検証してきたが、企業の農業ビジネスには失敗例が珍しくない。それは、「岩盤規制」などと言われるものとはほとんど関係ない。
最後の「企業がやればうまくいく」の派生型とでも言えるのが、「植物工場は農業を救う」だ。多くの記者が、LED(発光ダイオード)の光が野菜を妖しく照らす様にうっとりし、植物工場の未来を明るく描いてきた。筆者の場合は反対で、農業取材を始めてかなりたっていたため、「うまくいかない」と思いながら植物工場の取材を始めた。

これもほかのテーマと共通で、答えは「一概には言えない」。大企業が資本力と技術力をバックにレタス生産の勢力図を塗り替えるような計画を発表する一方、破綻したり、戦略の大幅な見直しを迫られたりしたケースもある。ただ取材を通して見えてきたのは、天候不順が続く中、生産が安定している植物工場への期待が中・外食を中心に着実に高まっていることだ。長期的に見れば、植物工場の可能性は広がっていくと見ていいだろう。
ただし、植物工場という注目されているテーマで「一概には言えない」「うまくいくところもあれば、そうでないところもある」だけでおしまいでは、先行きを探るヒントにならない。一方で、植物工場の世界は今ようやく黎明期を脱しようという段階で、実例だけで全体像を描くことも難しい。そこで今回は、異例だが統計の力を借りてみようと思う。
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