先回りして言えば、金融機関で働いていたときに得た知識は、足元の農場経営にもいきている。「あらゆる業界を見てきたという引き出しはあります。それを、どう農業にアセンブルし、カスタマイズするか。何か課題があったとき、農業界だけのクセに偏らず、『あの業界はああやって解決してたよね』って考えます」。金融業界から転身した農業経営者の最大の強みと言っていいだろう。

くすぶり続けていた農業への思い

 では、なぜ田中氏は金融の仕事を辞め、農業で起業したのか。じつは田中氏の実家は農家だが、脱サラして家業を継いだわけではない。むしろ、学生のころは「一刻も早く田舎を抜け出したい。都会に行きさえすれば夢がかなうと思ってました」。農業への思いは「恥ずかしい。コンプレックス」といったネガティブなものばかりで、「農業が仕事になるなんて一切思ってませんでした」。

 「農業はもうからない」という愚痴が、より深刻に農家のあいだに渦巻いていた時代の話だ。それでも、心の底では農業への思いがくすぶり続けていた。「いまも銀行の同期と飲むと、『入行したてのころ、酔っ払うと農業の話をしてたよね』って言われます。全然覚えていませんが」。「もうからない」というジレンマを知りつつ、親のやっていた仕事は目に焼きついていたのだろう。

 この眠っていた思いに、様々な経営者との出会いが火をつけた。「一般論でその仕事がもうかるかどうかではなく、経営者がどれだけ情熱を持って事業に臨むかで、結果が大きく変わるんです」。流行のIT企業でも倒産する会社はあったし、不況業種とされた繊維産業でもきらりと光る会社があった。

 あるイタリアンレストランのチェーンでの見聞も、田中氏を農業へと背中を押した。「経営者が言うのと同じことを、高校生のアルバイトがお客さんに言っているんです」。例えば、「価値のある幸せな時間を提供したい」「この店を通して、こういうことを感じてもらいたいんです」といった言葉が、ちょっとしたやりとりのなかで出てきた。