躍進が続くサラダボウルグループだが、田中氏が同社を立ち上げたのは2004年と、歴史はそう古くはない。売り上げが10億円を突破した有力法人のなかでは、新手の部類に入る。30代前半で起業する前は、金融機関に勤めていた。

天職の金融で、表も裏も

 会社勤めに行きづまって、農業の世界に転じたわけではない。結論から先に言えば、脱サラする直前のころの年収はなんと7000万円に達していた。「仕事にしか興味がありませんでした」。何ともうらやましい述懐だが、田中氏は「金融の仕事はいまでも天職だと思ってます」と話す。そう言えるだけの努力をしたのだ。

 最初に勤めたのは東海銀行(現三菱東京UFJ銀行)だ。入行から3、4年して、新規開拓を担当したときの経験が後々大きな財産になった。バブル経済が崩壊し、銀行は貸し渋りや貸しはがしに走っていた時代。攻略すべき相手は、無借金経営のような優良企業だ。「難攻不落。歴代の担当者がドアを開けられなかった企業ばかりでした」。

 この「無茶なミッション」に応えるため、田中氏は各業種の中身を徹底的に勉強することから取り組んだ。「毎朝、先輩たちが出勤する1~2時間前に会社に行き、新聞を13紙読んでました」。業種別の収益構造などをまとめた銀行向けの分厚い専門書も「全部暗記しよう」という勢いで読み込んだ。「経営者と話をするための準備」だ。

 次に勤めたのが、外資系のプルデンシャル生命保険だ。「銀行のときは経営者の表の顔とつき合い、保険では裏の顔とつき合いました」。言うまでもなく、法に触れる行為に加担したという意味ではない。企業は銀行と接するとき、どうしても自分のいい面を見せようとする。そこにはときに「やせ我慢」も混じる。これに対し、保険会社に入ってからは、経営者の悩みを聞き、助言するようになった。経営会議に出席し、決算書の書き方をアドバイスした。

 経営コンサルタントの仕事で手数料をもらっていたわけではない。だが、田中氏の助言で経営が改善すれば当然、相手は「何かあんたのためにできることはないか」となる。そこで答えは、「ぼくは保険会社の社員です」。経営者同士の紹介によるこの連鎖で、ふつうのサラリーマンの常識を超える収入を得ることができた。銀行マンとしての経験が、保険の販売にもいきたのだ。