「お互いに会話が成立しない。それこそ都市農業らしさだと思いました」。小野さんはそうふりかえる。広い農地で大量に作物をつくっている地域なら話はシンプルで、「食料の生産基地」と位置づければすむ。だが、都市の農地がだれのものかを考えると、ことはそう単純ではなくなる。「もちろん農地は農家のものなんですが、税金の減免をみとめる公共性を考えると、非常にあいまいになってきます」。

 都市の農地をみればわかることだが、狭い田畑で家族や親戚が食べる分を細々とつくっている農家が少なくない。小野さんの表現によると、「大きな家庭菜園を税金で支えているようなもの」。そこを単純に食料基地と位置づけるには無理がある。そこで、「市民や行政が農地にかかわっていこうという動きになってきたんです」。

「なぜ農業をやっているのか」

 国立市の協議会に参加して小野さんが強い印象を受けたのが、農家の複雑な心情だ。「農家の実情を知らない人から、売り上げがどれくらいあるかを聞かれると不機嫌になります。利益から言えば、コンビニでバイトしたほうがいい。農家はそのことをわかっているからです」。ではなぜ農業をやっているのか。「彼らにもその答えはないんです」。

 農家が農業の話をしたがらないことにも気づいたという。「話をすると、いろんな思いがこみ上げてくるからです」。彼らは、家父長制のもとで祖父母や両親、親戚からプレッシャーを受けながら農業を続けてきた。利益のためというよりは、「農家を守ること」が自己目的化しているのだ。父親が健在なら、50歳代になっても経営をまかせてもらえず、売り上げや利益を知らないことも少なくない。

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