一方、水野さんは2人とはべつに、「自然のなかで暮らしたい」という思いを募らせていた。定年退職して長野にログハウスを建て、キャンプ場を経営している先輩から「田舎暮らしはいいぞ」と勧められていた。「農業がベースの人生を組み立てられないだろうか」。田舎暮らしへのあこがれが高まった。

 これを聞きつけた続橋さんと泉さんが「どうやら、我々と同じっぽいぞ」「あいつなら信用できるだろう」と話し合い、水野さんに声をかけた。「おれたちとほぼ一緒じゃん。3人でやらないか」。この「ほぼ同じ」は解説が必要だろう。

田舎暮らしか東京で就農か

 水野さんは「田舎暮らし」をイメージしていた。これに対し、続橋さんと泉さんは「田舎暮らし的なもの」をしようと思ってはいたが、就農場所として考えていたのは東京だった。そこに「趣味の世界でのんびり生きようとは思わなかった」というこだわりがある。

 「つくった野菜を売るためのマーケットが必要だと思った」。続橋さんはそう説明する。地方ではなく、あえて東京で野菜をつくるという意外性への思いもあったが、起業する以上、ビジネスとして成り立たないと意味がない。続橋さんはそれを「打算的な安心感」という言葉で表現するが、ようは家庭菜園の延長ですませたくはないという意味だ。

 収入が安定している会社勤めから「ドロップアウト」することに対し、続橋さんは家族に反対された。とくに高齢の父親からは「家族の生活はどうするんだ。定年まで勤めろ」とくり返し諭された。「最初はまったく聞く耳を持ってもらえませんでした」。就農を決意したころのことをそうふり返る。

 「組織に埋もれたままでいいのか」という動機については、「サラリーマンの多くが同じ思いを抱えながら、それでも組織のなかでがんばっている」と感じる人もいるかもしれない。3人が違うのは、自分たちの決意を行動で示したことだ。まず体験農園で農業に触れた。片道2時間かけ、週末に2年間、農園に通い続ける続橋さんの姿を見て、家族は「本気だ」と思い始めたという。