ここで長嶋さんの父親がユニークなのは、農協職員にとどまらず、収入を得る道をさらに変化させた点にある。パソコンを修理したり、パソコンを組み立てたりする仕事を始めたのだ。パソコンがまだ「マイコン」などと呼ばれていた時代で、今と違って誰もが持つ簡便な普及品になっておらず、マニアが趣味で組み立てたりする時代だからこそ、成立するビジネスだった。

 長嶋さんは学生時代にバンド活動をやっていて、「音楽で食べていきたい」という夢を抱いていた。だが、父親から「忙しいから、手伝ってくれ」と言われ、父親の経営するパソコン店に就職した。2000年ごろのことだ。

「トマトは伸びしろがある」

 転機は2006年に訪れた。パソコン店を辞め、家業の一環で手伝っていた農業に専念する道を選んだのだ。安くて機能に優れたパソコンが登場し、個人が自前で組み立てるパソコンのニーズに限界を感じたからだ。

 栃木県が推奨し、補助を出してくれる品目は4種類あった。トマト、イチゴ、アスパラ、ニラだ。トマトを選んだのは、手間のかかるイチゴやニラと違い、パートなど雇用労働に頼らずに家族だけでできると思ったからだ。こうして長嶋さんは父親がやっていた稲作とトマトの2品目で専業農家になった。

 次の転機は就農から3年目。野菜の生産に携わる全国の農家の大会に呼ばれたとき、レベルの違う栽培技術を知ったのだ。自分を指導してくれた栃木のトマト農家の技術には、今も誇りを持っている。だが、収量を物差しに生産効率を見ると、はるかに高い技術があることを知った。「トマトは工夫次第で面白い。まだまだ伸びしろがある」。刺激を受けた長嶋さんは父親を説得し、コメをやめ、トマトだけで勝負することを決めた。

 同じころ、経営面でもう1つ大きな変化があった。栽培するトマトを大玉から中玉に変えたのだ。長嶋さんのハウスは地下水をくみ上げ、その熱で保温する「ウオーターカーテン」という設備を使っている。石油を使わずに保温するのでコストが低い半面、施設の湿度が大幅に上昇するという難点があった。その結果、カビが発生し、トマトの3~4割を廃棄したこともあった。

 先輩の農家に教えてもらい、カビを防ごうと様々に工夫してみたが、状況はなかなか改善しなかった。「このままでは生活が成り立たない」。そう思った長嶋さんは皮の厚い中玉に切り替えることで、カビの被害を減らすことに成功した。栽培がうまくいき始めたことと、全国大会で刺激を受けたことが重なり、トマトの増産を決意した。

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