自民党の小泉進次郎氏と全国農業協同組合連合会(全農)が激しい綱引きを演じ、その成果として全農が自己改革計画を発表してからもうすぐ1年。一般の世間はおろか、農業界さえ「そんなこともあった」という感じで関心が薄れる中、計画は少しずつ芽を出しつつある。その1つが、販売体制の見直しだ。

JAビルから飛び出す

 体制を改めるためには、役職員の意識改革が必要になる。この点に関し、政府・与党が求めたのが外部人材の登用だ。この要求に対し、全農は意外な「大物」を役員待遇で迎えることで対応した。イトーヨーカ堂で社長を務めた戸井和久氏だ。

 全農を含め、とかく生産者のほうばかりを向いてきた農協組織にとって、スーパーや外食チェーンなど「実需者」と連携し、ニーズをつかむのは最大の課題。それを実現するうえで、これ以上ない人事と言っていいだろう。

 2017年4月に「チーフオフィサー」という肩書で全農に入った戸井氏は、9月に自ら率いる戦略部隊として「営業開発部」を立ち上げた。

 営業開発部には大きくわけて2つの役割がある。全農にはコメや青果、肉、卵など販売子会社が6つあり、それぞれ別々にスーパーなどに売っていた。営業開発部はこれに横串を入れ、各食材を組み合わせて提案することを目指す。

 もう1つが、実需者とのダイレクトな結びつきだ。販社に売っておしまいにするのではなく、営業開発部が生産現場と販社、実需者の結び目に位置することで、モノを右から左に流すだけのサプライチェーンではなく、産地と売り場の付加価値を相互に高めるバリューチェーンを構築する。

 ここでユニークなのが、営業開発部を東京・大手町にあるJAビルに置かず、歩いて数分のところにあるコープビルに入居させたことだ。2009年竣工のJAビルは、セキュリティーチェックが厳しい37階建ての高層ビル。来訪者は1階受付で発行される入館証を首に提げて目的の階に向かう。

 これに対し、11階建てのコープビルは1973年の竣工。戸井氏は営業開発部をあえてここで立ち上げ、部署のドアを開けたままにして、関係者が自由に出入りできるようにした。販売体制の抜本的な見直しを担う18人のスタッフがここで「未知の世界」の仕事に取り組んでいる。

 営業開発部を発足させた狙いは何か。全農は変わることはできるのか。新天地で全農改革の陣頭指揮をとる戸井氏にインタビューした。

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