前回に続き、家業からどうやって企業に脱皮するかが今回のテーマだ。紹介するのは、約6年間務めた大工の仕事を20代前半でやめ、実家で就農した宮野義隆さん(2017年1月13日「なぜ水田でレンコン?『3K仕事に商機あり』」)。父親や兄がつくっていたコメではなく、選んだ作物はレンコンだ。

 雑草が生い茂る耕作放棄地を手作業で開墾し、水の張ったレンコン畑で極寒の季節に収穫するなど、仕事は予想以上にきつかった。だが、苦労のかいがあり、コメよりずっと高い収益を実現できた。宮野さんがつぎに直面した課題が、会社という組織づくりだった。

スタッフも望んだ法人化

 宮野さんが兄の一(はじめ)さんとともに、農事組合法人のOne(金沢市才田町)を設立したのは、2013年だ。レンコンを収穫しながら、ふとスタッフの将来のことが頭をよぎった。「自分は農業を続ければ、老後も何とかなる。でも、彼らはこの先どうなるんだろう。このままでは何の保証もない」。

 そのことをスタッフに話すと、「個人経営より会社のほうがいい」という意見で一致した。法人化すれば、年金などの福利厚生を社員に提供することができる。中小企業にとって、社会保障の負担は軽くはないが、それに耐えきれないような経営に甘んじるつもりもなかった。規模拡大も視野に入れ始めていた。

 少し前に亡くなった父親の英喜さんの言葉も背中を押した。「一と義隆は2人で一人前だ。一緒にやったほうがいい」。「2人で一人前」は親心の表れで、ようは「力を合わせて家業を発展させてほしい」という意味だろう。そこで、兄が手がける稲作とレンコン部門を一緒にし、会社を立ち上げた。

 稲作と一緒になることは、従業員にとってもメリットがあった。レンコンの農閑期の6~7月に、スタッフが田んぼの作業を手伝っていたからだ。組織をひとつにすることで、通年雇用の形が整う。

 当然のことだが、形だけ会社にしただけで、組織がうまく回るわけではない。「会社というものがわかっていない」。そんな思いをつのらせていた宮野さんにとって、2016年は転機の年となった。