利幅の大きい魚沼コシを業務用に大量に売り、三島屋の業容は急速に拡大していった。売上に占める比率では、業務用が7~8割に達した。だが、先回りして言えば、閉店するころ、業務用に占める魚沼コシの比率は限りなくゼロに近づいていた。魚沼コシで残った売り先は「5、6軒のすし屋だけ」という。
安い「こしいぶき」と石川県のコシヒカリ
潮目の変化は、10年ほど前に訪れた。三島屋にとって長年の取引先だった百貨店系のレストランが、べつの大手外食企業のA社に買収された。買収自体は問題ではなかった。A社が運営する給食や社員食堂向けの事業が、新たに三島屋の販路に加わったからだ。だが、相手が求めたコメは魚沼コシヒカリではなく、もっと安い「こしいぶき」だった。
当初、この新しいルートは順調だった。JA全農にいがたとその系列卸、三島屋、A社の間で年間契約を結ぶことで、三島屋は一般より安くこしいぶきを調達することができた。だが、JA全農にいがたが値段を上げ始めたことで、三島屋の利幅は年を追うごとに小さくなっていった。調達価格の上昇分を、A社への売値に転嫁できなかったからだ。
売値を上げられなかったことには理由がある。A社には新潟のある卸が同じこしいぶきを安値で卸していた。A社に値上げを頼むと、「三島屋さんだけ高くすることはできない」との返事がかえってきた。
約10年前にもうひとつ大きな変化が起きた。三島屋が業務用に進出したころから取引のある外食チェーンが、「石川県のコシヒカリに切りかえたい」と通告してきたのだ。外食チェーンはかつてコメ不足のとき、三島屋が魚沼コシを確保してくれた恩義を忘れず、石川からの仕入れを引き続き三島屋にまかせた。だがこれを機に、魚沼コシの取扱量は大きく減ることになった。
ここで触れておくべきことがある。三島屋が仕入れる魚沼コシは、農協傘下の農家がつくったものだったのに対し、石川県のコシヒカリは農業法人が生産したものだった。ふたつを比べてみて、健介さんは重大な事実に気づいた。農業法人のほうが、コメの品質が安定していたのだ。「すごくおいしいわけではありませんが、栽培方法がしっかりしていて天候の影響を受けにくい。驚きでした」。これと比べると、「天下の魚沼コシ」はばらつきが大きかった。
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