一方、三島屋ルートでは渡辺さんと新保さんがユニークな作戦をたてた。新宿の繁華街のホステスたちに売ることで、財布に余裕のある「上客」に口コミでコシヒカリの魅力が広まることを期待したのだ。この作戦はずばり的中した。富裕層向けのカード会員をターゲットにしたマーケティングも奏功した。

 その後、コシヒカリが躍進する過程で、新保さんはコメビジネスを深掘りしていった。そのひとつが産地の限定だ。「新潟のコシヒカリは味がいい」と気づいたのが出発点だが、じきに「新潟」とひとくくりにできないことを知る。「新潟の魚沼地方がとくにおいしい」「魚沼地方でも六日町農協(現・JA魚沼みなみ)が一番」「六日町農協も倉庫によって味が違う」。新保さんは自らの「目利き」を頼りに、優先的に「最上級のコシヒカリ」を確保した。

シャリジェンヌ、ピンクのバイク、小分けパック

 そして1989年、コメの価値を高めようとする新保さんのチャレンジがひとつのピークを迎えた。「ぬか袋だらけで暗い米穀店のイメージを払拭し、清潔感にあふれる店をつくりたい」。そう決意し、店舗を全面改装したのだ。

 新たにかかげた店名は「SHARI―SIENNE(シャリジェンヌ)」。白米を意味する「シャリ」をフランス風にもじった店名を考えたのは、店舗のコンセプトづくりに協力した内装会社だ。「さすがにそれは」。迷う新保さんに、担当者は「新しいことに挑戦するあなたが恥ずかしいと思うからこそ、是非これで行きましょう」と提案した。

1989年に改装した三島屋。これまでの米店の暗いイメージを払拭した(三島屋提供)
1989年に改装した三島屋。これまでの米店の暗いイメージを払拭した(三島屋提供)

配送用のオートバイや車はピンク色を基調にした(三島屋提供)
配送用のオートバイや車はピンク色を基調にした(三島屋提供)

 全面ガラス張りの店内は、フローリングの床を陽光が明るく照らし、米店というよりはベーカリーの雰囲気だった。配達用のスーパーカブの色はピンクで統一した。ユニホームもピンク。息子の健介さんは、友人から「よくそんなのに乗れるな」とからかわれたという。近所の中学生たちは、三島屋のスーパーカブが通ると「ピンクの米屋のバイクが来た」とはやしたてた。

 改革はデザインにとどまらず、コメの売り方にもおよんだ。大きな麻袋やビニール袋ばかりでコメを売る旧弊を退け、1キロの小分けパックを店に並べたのだ。パッケージの色は黒で、袋をしめるのはプレゼント用のリボン。ホワイトデーに近くのオフィスのサラリーマンが早朝から並ぶさまを、テレビが実況中継した。

 あるいは「早すぎた挑戦」だったのかもしれない。だが、三島屋は一貫してコメビジネスの最先端を走り続けてきた。時代の変化を直視せず、惰性でコメをつくり続けた農家とは違い、移り気な消費者のニーズに懸命に応えようとした。その努力が実を結び、世の注目を一身に集めていたこのころ、三島屋の経営に静かに不安のカゲが忍び寄っていた。

 次回のテーマは、三島屋が華やかな改装から20年強のときをへて店を閉じるにいたった経緯に移る。その物語は、日本の稲作とコメビジネスがこの間に経験した劇的な環境の変化の映し鏡になるだろう。

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