
歴代首相の誰より外交に力
安倍晋三首相は歴代首相の中でも飛び抜けて外交に力を注いでいる。外務省によると2012年の第2次安倍内閣成立以降、安倍首相の外遊は、今年8月末までで44回で訪れた国・地域は64カ所にのぼる。同じ国を複数回訪れているケースもあり、のべ訪問国・地域は97にのぼる。
9月に入ってからも、その勢いは衰えない。9月2日にはロシアのウラジオストクでプーチン大統領と首脳会談を行い、5日には主要20カ国・地域(G20)首脳会議で訪れた中国・杭州で習近平・国家主席と会談した。6日にはラオス・ビエンチャンを訪れ、日本・東南アジア諸国連合(ASEAN)首脳会議や東アジアサミットなどに出席した。これで訪れた国・地域ののべ数は100を超えた。さらに9月下旬には国連総会に出席するのに合わせて、日本の現職首相として初めて、キューバを訪問する方向だ。
安倍首相の精力的な外遊ぶりには、外務省の幹部でも舌を巻く。歴代内閣でもぶっちぎりである。民主党政権時代は、鳩山由紀夫首相が10回で、のべ11カ国・地域を訪問。菅直人首相は東日本大震災もあったことから、7回でのべ8カ国・地域しか訪れていない。野田佳彦首相時代は増えたが、それでも16回、のべ16カ国だった。
安倍首相は第1次安倍内閣時代も8回、のべ20カ国・地域の訪問をしており、日本の歴代首相として、間違いなく最も多くの国を訪れた政治家として歴史に名を留めるのは間違いない。アベノミクスでも、憲法改正でもなく、外交で歴史に名前を残すことになるのだ。
米大統領の広島訪問でひとつの戦後体制に区切り
そんな安倍外交の本質とは何だろう。
キーワードは「戦後レジームの総決算」である。第1次安倍内閣の頃はしばしば官邸からもこの言葉が発信されたが、第2次安倍内閣以降はほとんど使われなくなった。だが、安倍首相がやろうとしている事が「戦後レジーム(戦後体制)の総決算」であることは間違いない。
その象徴的な出来事が、今年5月27日に実現した。バラク・オバマ大統領の広島訪問である。日米間で戦われた太平洋戦争での日本敗北の象徴的な場所である広島を、米国の現職大統領が訪問することは、本当の意味で「日米戦後和解」だった。
編集者の間宮淳氏が、広島へのオバマ訪問が実現する直前に、「日米『戦後和解』への長い道のり」と題した記事を書いていた。その中で、欧州では、連合国軍の大規模な無差別爆撃で大勢の一般市民の犠牲者を出したドイツのドレスデンで「50周年追悼式典」が開かれ、英エリザベス女王の代理であるケント公や米国の統合参謀本部議長らが参列し、共同で犠牲者を悼んだ「ドレスデンの和解」が行われたことを記している。一方で日米間では、原爆やヒロシマ・ナガサキがタブーとなり、終戦50周年でも、60年でも「和解」が実現できなかったことを紹介している。そのうえでこう結んでいる。
「広島において、日米のドレスデン型の和解が実現すれば、東アジア地域の中で日米だけがいち早く、『責任問題も謝罪も関係なく、勝者も敗者もともに戦争犠牲者を追悼し、和解する』という、もはや国際基準となったヨーロッパ型の戦後和解に移行することを意味する。それ故、この事自体、東アジアの戦後にとってある意味、画期的となる」
まさしく安倍首相の外交によって、戦後レジームのひとつに決着が付けられたというわけだ。
Powered by リゾーム?