
なぜ「獣医学部」の新設が必要だったのか
加計学園の獣医学部新設を巡る問題で、野党は安倍晋三首相が友人の加計孝太郎理事長に頼まれて便宜を図ったのではないかと追及している。文部科学省の前の次官だった前川喜平氏は記者会見で「行政が歪められた」と述べ、学部新設が認められた過程で何らかの政治的圧力が加わったことを示唆した。
一方で、獣医学部新設を認めた国家戦略特区諮問会議の民間議員たちは会見を開いて、決定プロセスには「一点の曇りもなかった」とした。しかも、新設を加計学園1校に絞ったのは、獣医学部の増加に強く抵抗していた獣医師会に配慮して妥協したもので、加計学園に便宜を図るためではなかった、という。
果たして、この加計学園問題は、政治が民間に便宜を図った「大疑獄事件」なのだろうか。そもそも獣医学部の新設というのは、政治家が「口きき」するほど、オイシイ話だったのか。
50年間にわたって獣医学部が新設されなかったことについて、文部科学省の主張は「獣医師は足りている」というものだった。これは日本獣医師会の主張をそのまま受け入れたものと言える。
獣医師が足りているのだとすれば、獣医学部を新設して獣医が増えた場合、職に就けない人が出てくるはずだ。おカネをかけて入学しても獣医として働く道が開けないのであれば、獣医学部を新設しても学生が集まらない。そんな中で、加計学園はなぜ獣医学部を新設したかったのか。
全国の大学がこぞって設置した「ロースクール」は、弁護士過多が指摘されて合格者が絞り込まれる中で、どんどん姿を消している。経営的にはロースクール新設は失敗だったということになる。獣医師も足りているというのが本当ならば、加計学園の学部新設は、経営的にリスクの大きい判断だということになる。
一方で、獣医師は不足している、という見方も根強い。国家戦略特区諮問会議で獣医学部の新設容認の意見を述べていた坂根正弘・コマツ相談役は、鳥インフルエンザなど動物と人間の双方にかかわる病気が広がる中で、日本に獣医師が少ないことが、創薬などの力を落としているとして問題視した。動物と人にまたがる生物分野の医療研究をするには、獣医師を増やす必要があるとしたのだ。つまり、獣医師にはまだまだマーケットがある、と指摘したわけだ。
どちらの見方が正しいのか。本来ならば、市場原理に任せれば良い話だ。ニーズがないのに学部を増やせば、学生が集まらない。しかも新設する場所は学生人口の多い大都市圏ではなく愛媛県今治市だ。文部科学省や獣医師会が目くじらをたてなくても、早晩行き詰まる。
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