天下りに「理解」を示した第2次安倍内閣

 2012年末に政権を奪還した第2次安倍内閣は、一転して「公務員に優しい」姿勢を取った。第1次安倍内閣は「公務員制度改革」に本腰を入れ、霞が関の反対を押し切って、2007年に国家公務員法改正案を国会で可決させた。各省庁による天下りの斡旋禁止と、年功序列の打破が柱だった。当時の安倍内閣の閣僚たちはこの改革で霞が関を敵に回したことが、わずか1年で内閣が崩壊することにつながったと考えた。第2次安倍内閣が官僚を味方に付ける政策を取ったのは、民主党の失敗だけではなく、第1次安倍内閣の失敗の反省でもあった。

 政府系金融機関の民営化はストップ、幹部への天下りにも安倍内閣は「理解」を示した。民主党政権で大幅にカットした公務員給与も元に戻し、それ以降も賃上げを容認している。公務員制度改革の司令塔だった「国家公務員制度改革推進本部」は2013年7月に「設置期限を迎えた」という理由で廃止された。

 公務員制度改革を担うはずの担当大臣も目立たなくなった。第1次安倍内閣の時は担当大臣の名称は、「公務員制度改革担当」だったが、今は「国家公務員制度担当」と「改革」の文字が抜け落ちている。まさに「名は体を表す」だ。

 そんな中で、唯一改革が進んだと見られたのが「内閣人事局」である。霞が関の幹部官僚600人の人事を一元的に行う組織で、2014年5月に生まれた。それまでの幹部人事は各省庁がバラバラに行っていた。もちろん、内閣官房長官や所管の大臣も決裁するのだが、圧倒的に各省庁の事務次官が人事権を握っていた。

 「省益あって国益なし」。日本の官僚制度の弊害はしばしばこう言われてきた。内閣官房で幹部人事を一元的に行えば、内閣の方針に従って官僚機構が動くようになる。まさに「国益第一」の組織になるというのが狙いだった。当然、首相をトップとする「官邸主導」の体制を強化することになる。

 この内閣人事局は安倍内閣以前の公務員制度改革の中で設置が決まっていたものだが、「改革派」だった安倍氏が設置のタイミングで再び首相になっていたのは因縁である。

 焦点は「局長人事」だった。内閣人事局長は官房副長官が兼ねることになっている。官房副長官は3人。衆議院議員から1人、参議院議員から1人、そして事務方のトップから1人である。内閣人事局の創設当時、霞が関の多くの官僚は当然、事務方の副長官が「局長」に就任すると思っていた。それが土壇場で政治家に差し代わる。安倍首相らの強い意向があったとされる。

 初代内閣人事局長は加藤勝信副長官(現・厚生労働大臣)、2代目は萩生田光一副長官(現・自民党幹事長代行)が就いた。改革姿勢を示すことにつながったのは事実だ。

 財務省の決裁文書改ざん問題で、この「内閣人事局」を批判する声が霞が関の官僚から上がっている。政治家が人事権を握ったから、政治家への「忖度」が働くようになった、というのだ。確かに、幹部官僚が官邸の意向を気にするようになったのは事実だ。自省の事務次官よりも官邸の意向を重視する例も頻発している。だが、それは政治家への忖度というよりも、官邸に詰める幹部官僚の指示という色彩が強い。一部の重要な問題を除いて首相や官房長官が直接指示を発しているケースは多くない。