安倍内閣の中でも、原発政策を巡る抜本的な議論はほとんど行われていない。下手に手を付けると国民を二分する議論に発展しかねない難題であることが分かっているからだ。政治的に争点化を避けているとも言える。そうした点を突いて民進党が安倍内閣を追い詰めようと考えたのには一理あるといってよい。

 だが、そのためには、「2030年代ゼロ」という方針ではマズイ現実がある。2030年代に脱原発というと、積極的に原発の廃止を進めるような印象を受けるが、実態は違うからだ。

 日本の原発は1970年代に20基、80年代に16基、90年代に15基が運転開始した。1997年までに51基である。ところがその後の20年間に運転開始したのはわずか5基だけ。2009年の北海道電力泊原発3号機が最後である。そして、日本では原発の稼働期間は原則40年間と決まっているため、老朽化した原発を規定通り40年で廃炉していくとすると、2037年には5基しか残らないことになるのだ。いまのまま放っておいても「脱原発」は進むのである。

なし崩し的な「脱原発」でよいのか

 安倍内閣も、原発の新設や増設、リプレイス(建て替え)などには一切言及していない。つまり、このままでいれば、なし崩し的に「脱・原発依存」が進むことになるのである。だからこそ、「脱原発」の姿勢を明確に打ち出すためには「2030年」に前倒しする必要があったわけだ。

 だが、与野党ともに「原発無策」のまま、なし崩し的に「脱原発」が進んでいくことで問題ないのか。日本は明確な方針を示さないまま、原発を放棄していっていいのだろうか。

 一方で、東京電力福島第一原子力発電所の事故処理など、今後も原発にまつわる「事業」は果てしなく続く。廃炉するにしても、原発技術者は不可欠だ。将来にわたる明確な原発政策がないまま、事業者任せで原発技術が日本国内に残っていくのだろうか。

 今、これまで原子力技術の一翼を担ってきた東芝が経営破たんの危機に直面している。米国の原子力子会社ウェスチングハウス(WH)に関連し、米国の原発工事を巡って巨額損失が発生。東芝が7125億円の損失を被ることになった。しかも、決算が確定できずにいる。

 東芝は損失を穴埋めして債務超過を回避するため、虎の子とも言える半導体事業を分社化して売却する方針を決めた。だが、会社を存続させるための対処療法で、東芝の原子力事業を持続させる見通しが立つわけではない。

日本の「原子力技術」をどのように保持すべきか

 このまま事業者任せにしておいて、日本の原子力技術を保持し続けることができるのかどうか、不透明感が増している。かといってWHでの損失がさらに膨れ上がる可能性がないとは言えない状況では、東芝という会社を公的資金で救済することは難しい。

 さらに、米国から日本への核燃料の調達や技術導入、再処理などについて取り決めている「日米原子力協定」が1988年の改定から30年を迎える2018年7月で満期が来る。本来ならば自動延長なのだが、米国側がすんなり延長を認めるかどうか微妙な情勢だ。

 協定は、日本が原子力の平和利用に徹することを前提に、原子力発電を将来にわたって継続していくことが前提になっている。原発から生まれるプルトニウムを核燃料サイクルやプルサーマル発電によって消費していくことが求められているのだ。プルトニウムが蓄積することになれば、核兵器に転用されるリスクが生じるからだ。ところが、今の日本では、そうした核燃料サイクル自体が機能しなくなっている。つまり、日本が今後、原発はどう運用していくのか、あるいは脱原発に舵を切るのか、明確な政治の意思が問われるタイミングが近づいているわけだ。

 攻撃する側の民進党が原発政策について明確な姿勢を示せないことにより、安倍内閣での原発政策の議論も封印されたままになりそうだ。