トランプ米大統領が6月1日、一度は中止を表明した米朝首脳会談を当初の予定通り12日に実施すると発表した。北朝鮮の“泣き”を受け入れて開催を再度決めたにもかかわらず、米国は条件面で譲歩したように見える。その背景に何があるのか。地政学的視点の重要性を説く秋元千明・英国王立防衛安全保障研究所アジア本部所長に話を聞いた。
(聞き手 森 永輔)
金正恩委員長の側近、金英哲氏(左)をクルマまで送って出たトランプ米大統領(右から2人目)(写真:AP/アフロ)
ドナルド・トランプ米大統領が6月1日、米朝首脳会談を当初の予定通り12日に実施すると発表しました。それは良いとして、その後の展開は不思議な様相を呈しています。米国が条件を緩和しているように見えるからです。トランプ大統領は訪米した金英哲(キム・ヨンチョル)氏に非核化は「ゆっくり進めてください」と発言。「『最大の圧力』という言葉はもう使いたくない」「対話が続いている間、追加制裁はしない」と語ったことも報じられています。
トランプ大統領は5月24日に同首脳会談の中止を表明。これに対して北朝鮮はわずか8時間後に反応。金桂官(キム・ゲグァン)第1外務次官が「わが方はいつでも、いかなる方式でも対座して問題を解決していく用意があることを米国側にいま一度明らかにする」(朝鮮中央通信5月25日)とまるで泣きを入れるような談話を発表しました。ここから12日開催に向けた再調整が始まりました。
秋元:北朝鮮の核問題は2つの軸で見る必要があります。1つは非核化そのものです。
この点について、米国の姿勢に変化はないと思います。「CVID(完全で検証可能かつ不可逆的な非核化=Complete, Verifiable, and Irreversible Dismantlement)」を求める意思にブレはありません。「一括」 での実現を求めていた非核化について、最近では時間をかけて実現するような表現をしていますが、そもそも非核化は短期間でできるものではありません。たった1回の会談で非核化に関する全ての事項に合意し、その実現のための行動計画でも合意するのは困難です。
非核化の実現にかかる期間をCIA(米中央情報局)は6カ月、国務省は2年程度としています。もっとも、これは北朝鮮がもし本気で非核化に応じればの話であり、私は懐疑的です。
秋元千明(あきもと・ちあき)氏
英国王立防衛安全保障研究所アジア本部(RUSI Japan)所長。 早稲田大学卒業後、NHKに入局。30年にわたって軍事・安全保障分野の報道に携わる。1992年、RUSIの客員研究員に。2009年に同アソシエイトフェローに指名された。2012年にNHKを退職し現職に就く。大阪大学大学院で招聘教授、拓殖大学大学院で非常勤講師を務める
通常の首脳会談なら、こうした点を詰めて合意できるとの確証を得てから、首脳会談の開催を決断します。しかし、今回の場合、3月8日に韓国の特使、鄭義溶(チョン・ウィヨン)大統領府国家安保室長がトランプ大統領と会談し、金委員長がトランプ大統領との会談を熱望していると伝えると、同大統領がその場で受け入れてしまいました。つまり詰めの作業が後回しになってしまったのです。この点を考え合わせれば重要な問題が未解決のまま先送りされることになる可能性は否定できないでしょう。
「『最大の圧力』という言葉はもう使いたくない」という発言は確かに腰が引けているように聞こえますが、1週間後に首脳会談が控えているのです。この段階で交渉相手を刺激するような発言をするのは賢明ではありません。
朝鮮戦争の終結にも米国は触れていますね 。
秋元:これも象徴的な意味しかないと考えます。朝鮮戦争の終結は、休戦協定が結ばれた時から将来の目標としてずっと掲げられてきましたし、事実上戦争はずっと前に終わっています。ただし、在韓米軍の撤退の口実として使われないよう警戒する必要があります。
依然として続く大国間の綱引き
もう1つの軸は何ですか。
秋元:東アジアの大国が朝鮮半島をめぐって織りなす勢力争いです。これは将来の東アジアの戦略地図に重大な影響を与えます。
中国・大連で5月7~8日 、2回目の中朝首脳会談が行われた後、北朝鮮の態度が急に硬化しました。中国が何を求めたのかは推測するしかありませんが、「安易な妥協はするな」という内容だったと思います。中国にとって、西側を核で脅し続ける北朝鮮が緩衝地帯として存在するのは必ずしも悪いことではありません。だから、北朝鮮の崩壊を望まないのです。
その後、ロシアも5月31日、ラブロフ外相を北朝鮮に派遣しました。中国と似たような立場で北朝鮮に接したのだと思います。北朝鮮を抱え込んでいたかった。
こうした展開の中で、トランプ大統領はCVIDを重視しつつ、それにこだわりすぎて北朝鮮を中ロの側に追いやってはならないとも考えたのでしょう。ここで首脳会談を蹴飛ばしてしまえば、北朝鮮は完全に中ロの側に寄る可能性があります。同大統領が譲歩したように見えるのはそうした思惑が働いているからだと思います。
もし、トランプ大統領がこう考えたとしたら、分からなくもありません 。北朝鮮を米国側に取り込むことができれば、たとえ今、すぐの非核化を実現することができなくても、近い将来できるかもしれない。一方、北朝鮮との関係がさらに悪化すれば、非核化の実現には戦争しか手段がなくなります。あくまで即時の非核化に過度にこだわることが米国の安全保障に寄与するのかどうか、慎重に判断する必要があります。秋に中間選挙を控え、戦争へ進む道が支持率を上げるのか、それとも、短期的でも外交的な成果を上げる方が支持率を上げるのか、そのへんの読みだと思います。
北朝鮮に内部分裂の可能性
こうして、大国が北朝鮮を自身の側につけようと綱引きをする中でカギとなるのは北朝鮮の考えです。
そもそも、中国が韓国と国交正常化を進めたことが、北朝鮮が核開発を進めた理由の1つと言われます。
秋元:そうですね。北朝鮮の生存を保証できるのは米国だけです。だから、トランプ大統領が首脳会談の中止を表明すると、金第1外務次官が「トランプ大統領がこれまでどの大統領も下すことができなかった勇断を下し、首脳対面という重要な出来事をもたらすために努力したことについて、ずっと内心は高く評価してきた」 との談話を出したわけです。これほど低姿勢な北朝鮮の声明に接したことがありません。
もしかすると、北朝鮮の中で意見が2つに割れているのかもしれません。中ロに寄り添うべきだと考える勢力と、米国との融和を優先すべきだと考える勢力です。この2つの勢力のバランスが変化した時に、北朝鮮が方針を突然転換したかのように見えるのではないでしょうか。
先ほど触れた、金第1外務次官の談話はこの例と言えるでしょう。金委員長と習近平(シー・ジンピン)国家主席の第2回会談を受けて親中派が勢いを得て、崔善姫(チェ・ソンヒ)外務次官が米国を挑発した。「米国がわれわれの善意を冒涜(ぼうとく)して非道に振る舞うなら、朝米首脳会談の再考を金正恩(キム・ジョンウン)委員長に提起する」 という5月24日の発言です。
トランプ大統領が同日、これに反発して会談の中止を表明すると、金第1外務次官が翌25日「ずっと内心は高く評価してきた」と言い訳にも聞こえる談話を出し、態度を一変させた。普通の北朝鮮ならあり得ないことです。政権内で「お前があんなこと言うからこんなことになったんだ」といった責任のなすり合いがあったのかもしれませんね。
このあたりのことは、金委員長がどれだけの力を持っているかによります。真の実力者としてすべてを統制しているのか。それとも、政権内に複数のグループがあり、その上で調整役を演じているのか。後者の見方はこれまであまりされたことはありませんでしたが、可能性は捨てきれません。
そして同じ過ちを繰り返す
以上の話を踏まえて考えると、6月12日の米朝首脳会談ではどのような合意が成されるでしょう。
秋元:非核化に向けた具体的なプロセスについての明確な合意は難しいと思います。将来に向けた努力目標を列挙するあいまいな合意に留まるかもしれません。
もし、そうなら、この合意は必ず批判にさらされるでしょうね。「何の成果も生まない」と。トランプ大統領は「会談のための会談はしない」と言い続けて来ました。しかし、まさにその会談のための会談になるわけですから。
身内である共和党からも批判されそうです。
秋元:避けられないでしょうね。
朝鮮半島をめぐる地政学的な綱引きという視点から見れば、必ずしも意味のない会談ではありません。問題は、このような曖昧な合意が北朝鮮に誤ったメッセージを送る危険があることです。もし、北朝鮮のこれまでの行動を米国が認めたなどと誤解すれば、さらに核とミサイルの開発を続けるでしょう。そもそも、現在の北朝鮮の突然の融和姿勢は、核やミサイルの開発が最後の仕上げ段階に入って、そのための時間稼ぎをする戦術に過ぎないと私は思うからです。
そうなれば、トランプ大統領の選択は第2次世界大戦前夜、英国のチェンバレン首相がドイツの軍備増強を許し、結果として戦争を招来させた宥和政策になぞらえて、“第2のチェンバレン合意”とよばれることになるでしょう。脅威との対決を避けるために解決を先に送ると、結局はさらに強大な危機に直面するということです。
ですから、6月12日の会談が単に北朝鮮の時間稼ぎに協力するだけの会談に終われば、戦争はいっきに現実味を帯びてくると思います。
中距離戦域核による抑止を考える
優秀なディールメーカーを自称するトランプ大統領としては恥ずかしい結果になりかねないわけですね。
米朝首脳会談があいまいな合意とその反故に進むとすると、日本はいかに備えれば良いのでしょう。秋元さんは中距離戦域核による抑止に注目されていますね。
秋元:ええ。米国が最近発表した核戦略の中で指摘しているように、遅かれ早かれ米海軍の艦艇に核弾頭搭載のミサイルを配備することが検討課題となってくると考えています。
これは欧州で1980年代に起きた危機から得られる教訓です。当時のソ連は西欧を射程に収める中距離核ミサイル「SS20」を配備しました。これは西欧諸国の脅威となるものの米国の脅威とはならない。ソ連による分断策(デカップリング)を恐れた西欧諸国は米国に中距離核を配備するよう働きかけ、米国は弾道ミサイル、パーシングIIとGLCM(地上発射巡航ミサイル)を西欧に配備しました。この中距離核の配備は抑止力として機能し、東西冷戦終結のきっかけとなりました。
中距離核の配備には全面核戦争の敷居を高めるという狙いもありました。SS20に対して、米国が保有する戦略核兵器で対抗すれば、欧州の紛争が地球規模の戦争に一挙にエスカレートしかねません。
北朝鮮の核ミサイルの開発をこのまま容認すれば、近い将来、北朝鮮が保有する核に対して、欧州の中距離核と同じような地域配備の核抑止力を東アジアにも配備すべきだという意見が強まるでしょう。それは日本のいわゆる非核三原則にも影響を与えるでしょう。
だから、北朝鮮が持つ中距離核ミサイルもしくは中距離ミサイルを、米国を狙うICBM(大陸間弾道ミサイル)と並行して廃棄させることにも取り組む必要があるわけです。
中国が北朝鮮による統一を支援すれば後ろから刺される
大国間の覇権争いについて伺います。確かに第1次世界大戦や第2次世界大戦の前は各国が覇を争っていました。現代の覇権争いはどのようなものなのでしょう。
秋元:現代の世界は第1次世界大戦前の世界と似ています。それまでの大国が力を失い始めると、その力の空白を埋めようと新興の大国が覇権を拡大する。しかし、旧覇権国はただ黙って見ているわけにはいきませんから、そこで軋轢が生じる。現代の世界と同じですね。
当時は英国やロシア、オスマン帝国など大国の力に陰りが見え始め、その機に乗じて、ドイツが台頭した。現代は20世紀の覇者、米国の影響力が下がる一方で、中国が台頭している。
国家同士の連帯にきしみが生じているのも似ています。英国のEU(欧州連合)離脱をきっかけとしたEU域内の動揺もそうだし、NATOの連帯にかげりが見えているのも事実です。2011年に起きたリビア内戦にNATO(北大西洋条約機構)が軍事介入した際には、参加国が途中からどんどん離脱しました。NATOが共通目標とする国防費の最低値(GDPの2%)を満たす国は2018年、28カ国中8カ国にとどまる見通しです。
ただ、現代では勢力争いのツールは軍事力だけではありません。戦略的な構図は変わっていないけど、それを実現するための戦術が変わってきている。経済支援やPKO(平和維持活動)の派遣によって対象国の抱き込みを図ることができます。軍事力を行使しなくても、誰がやったかわからないサイバー攻撃や対象国の世論を誘導するハイブリッド戦を仕掛けることもできます。
中国が進める一帯一路構想は経済というツールを使った世界覇権確立のための野望です。日本が取り組んでいる太平洋・島サミットやアフリカ開発会議もこれに対抗するツールの一例と言えるでしょう。
朝鮮半島をめぐる米ロ中の動きもこうした視点から見る必要があります。中国はあわよくば韓国まで手中に取り込もうとしているように見えます。ただし、韓国の外交姿勢には一貫した戦略があるようには見えません。常に場当たり的で変化しやすいので、中国が韓国を抱き込むのは容易なことではないでしょう。
綱引きの一方の雄である中国にとって、北朝鮮がどのような状態にあることが好ましいのでしょう。
秋元:中国にとって、北朝鮮は常に西側との緩衝地帯でなくてはなりません。国境を接した北朝鮮が親米政権になるなど悪夢です。つまり、中国は北朝鮮が今のような状態でいるのが好都合と考えているでしょう。北朝鮮は中国にとって不愉快な国であるかもしれませんが、北朝鮮との一定の関係を保っていれば、西側に対する外交カードとしてこれを使うことができます。
ですから、もし、北朝鮮と韓国が将来、統一に向けて動き出したら、これは中国にとって悪いシナリオです。米国と韓国が主導して朝鮮半島を統一すれば中国の国境に接して西側の自由陣営が生まれることになります。かといって、もし、そうした動きが朝鮮半島で始まった場合、中国はそれを阻止することはできないでしょう。朝鮮半島に手を出せば背後から刺されかねません。
後ろから刺されるのですか?
秋元:香港の民主化を求める勢力、チベット、ウイグルなどの民族の独立を目指す勢力にです。中国の軍事的能力のほとんどは海外に対してではなく、国内を掌握するために向けられています。もし、その能力を海外への進出に使おうとすれば国内を掌握する能力が相対的に弱まります。それは体制の危機を招きかねません。
そのような国がどうして海洋進出をしたりするのでしょうか。
秋元:中国は自国の安全を維持するための緩衝地帯を自国の周囲に作りたいのです。南シナ海などの海洋進出にもそうした側面があります。
民主主義国と独裁国家とでは発想が異なります。民主主義国はその特性として、理念を共有する国同士が仲間を作り、増やし、安全保障に関わる役割分担、つまり同盟を作る習性を持っています。一方、独裁国家同士にはそれがありません。したがって、利用し合う関係はあっても、運命共同体としての真の同盟は存在しない。その結果、自分の国は常に自分で守らなくてはならず、そのために国家の周辺に緩衝地帯を置きます。これは中国やロシアのようないわゆるランドパワーの特性でもあります。
中国が南シナ海の環礁を埋め立て軍事拠点化し、緩衝地帯を築くのは、南シナ海を足場に将来、外国へ進出しようというものではなく、自国の周辺に友好国や同盟国が存在しないから、安全地帯を作っておきたいのです。北朝鮮に対してもそうです。友好国ではなくても、緩衝地帯として自らの勢力圏に置くことが中国にとっての利益なのです。
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