計画経済の看板の下で市場が拡大

 さらに、北朝鮮の経済が計画経済によって成り立っていることも90年代の北朝鮮経済を没落させた要因の一つと考えられている。計画経済とは、経済資源を国家による経済計画に則って配分する経済のこと。計画経済の反対が、市場経済であり、需要と供給による市場の価格調整を利用した経済である。日本はもちろん市場経済を採っている。

 北朝鮮の経済は、現在に至るまで、公式には計画経済によって成り立ってきた。憲法には国家が経済計画を立てて実行することが、明記されている。実際には、朝鮮労働党で経済計画の方針を立てて、それを政府機関が具体化して実行するのである。ところが、1987年から始まった第3次7カ年計画は、主要な目標が未達成のままであることが93年に発表された。これは、計画経済の限界を露呈することになった。

 ただし、社会主義自立的民族経済建設路線も計画経済も、一時期は成功と評価されていたものである。しかも、金日成の時代に始められたものであり、金日成は死去するまでこの方針を維持した。これらを放棄することは、金日成を否定することになりかねない。

 そこで、後継者である金正日(金日成の息子)の時代には、社会主義自立的民族経済建設路線と計画経済の看板を立てたまま、新しい経済を模索していた。その一つが、あくまで臨時的措置であるが、市場経済の一部容認である。計画経済による配給制度はほとんど崩壊しており、人々はあちこちにつくられた市場で日常品や食糧を求めるようになっていた。それを認める形で、国家が市場経済を管理できるようにしたのである。社会主義自立的民族経済建設路線の看板は維持していたが、実際には貿易を行ない、外資を積極的に受け入れ始めた。

 北朝鮮の経済は1998年に底を打ち、そこから回復が始まったと考えられている。その経済回復をもたらしたのは、計画経済よりも、市場経済によるものが大きいであろう。第3次7カ年計画以降、大規模な経済計画は公表されていないが、実際には小規模な経済計画が策定されて、実行されてきた。それらの中で目を引いたのは、経済計画よりも、市場の規模拡大であった。

経済発展5カ年「戦略」が「計画」ではない理由

 経済を回復させ、史上最高の経済力を持つとの目標を立てた年が、金日成誕生100周年である2012年であった。従来、金日成や金正日は、党大会を開催できない理由は経済が芳しくないためであると語っていた。

 経済が回復し、史上最高の経済力を持つようになれば、党大会を開催して、新たな経済計画を出すことができる。しかし、結局、2012年にそのような華々しい発表はされなかった。

 2015年に北朝鮮では、目に見えて経済力の回復が確認されるようになった。そして10月に発表されたのが、2016年5月初旬に党大会を開催することであった。党大会は党規約によって6カ月前に開催を公示しなくてはならない。2015年10月頃に朝鮮労働党は、2015年内に史上最高の経済力を持つことができ、6カ月後には党大会を開催できると踏んだのである。

 史上最高の経済力といっても、それは1980年代末頃の北朝鮮の経済力を上回ったにすぎない。しかも、それを達成したのは市場経済によるところが大きい。看板に掲げている計画経済ではないのである。

 第7回党大会では、経済大国になるための新たな経済計画を出さなくてはならない。では、市場経済を捨てるのかというと、それもできない。そこで第7回党大会で提起されたのは、2016年から2020年を期間とする「経済発展5カ年戦略」であった。すなわち、「計画(Plan)」ではなく、「戦略(Strategy)」だったのである。

 これは何を意味するのか。計画経済の看板を残しつつ、市場経済を活用して柔軟に対応しながら「経済大国」になるために、「計画(Plan)」ではなく、「戦略(Strategy)」にしたと考えられる。

 実は、中国に似た前例がある。2006年に開始された第11次5カ年計画は、中国語では従来の「計画」ではなく、「規画」であった(第11次5カ年規画)。英語による名称も、「計画(Plan)」から「規画(Guideline)」に変わった。これは市場経済の導入によって、経済計画が掲げる目標値を達成目標ではなく、ある程度の目安にして、柔軟に対応するための措置である。つまり、北朝鮮もこれに倣ったと見られる。