金英哲をめぐる毀誉褒貶

 金英哲部長は日本では知られていないが、南北対話の関係者や一部の専門家の間では有名な高官だ。もともとは、板門店司令官を務めた陸軍の軍人である。その時代に、管轄下にある開城工業団地の収入を利用し、実力者の張成沢(チャン・ソンテク)政治局員に接近した。金英哲部長を知る韓国政府高官は「頭の回転が速く人を惹きつける」と称賛する。

 その後、軍の偵察総局長に昇進し、一時は金正恩委員長の軍師ともいわれた。偵察総局は人民軍の情報工作機関だったが、金英哲部長が党の作戦部、対外情報部などの情報工作機関を吸収し、情報工作機関を一本化した。ところが各機関の不満が噴出しうまく機能せず、金英哲部長は統一戦線部長に事実上左遷された。吸収された情報工作機関の一部は元の所属部署に戻された。

 またこの時期に、韓国海軍艦艇の撃沈に関わったと韓国国防省は非難し、米国は制裁対象に指名した。

 金英哲部長が左遷された背景には、処刑された張成沢氏に近いとの告発があった。調査の対象になったが、巧みに切り抜け生き残った。それでも疑惑は残る。このため、平壌で「指導者は、金英哲をもはや信用していない」との噂が流れた。

 金正恩委員長は父親時代からの幹部を活用していたが、彼らが指導者に上手に嘘をつく人々である事実に気がつき、遠ざけるようになったといわれた。金英哲部長もこうした幹部の一人である。このため、金英哲部長が久々に登場したことに、南北関係の専門家は驚いた。彼の登場は、復活を意味するのか、あるいは、五輪工作に失敗した責任を問われるのか注目される。

軍の地位低下は「核実験中止」の布石か

 平昌オリンピックが開幕する前日の2月8日、北朝鮮は人民軍記念日を変更し、軍事パレードを実施した。平和の祭典の開会式前日に、なぜ軍事パレードをしたのか。それは、軍を掌握した金正恩委員長が「勝利宣言」する必要があったからだ。

 金正恩委員長は、父親の「先軍政治」を廃止し、人民軍を労働党の指導下に置こうと苦労した。社会主義は「軍は党に従う」制度だが、「先軍政治」は「党が軍に従う」現象を生んできた。

 軍を党の下に置かないと、クーデターの危険が高まる。対米交渉で「将来の核開発はしない」「核実験は中止する」と提案すれば、軍の反発は必至だ。北朝鮮の首脳部は「核開発の完成を宣言し、これ以上実験はいらない、として米朝交渉に臨む」との戦略を模索してきた。これを実現するには、反発する軍を抑えなければならない。

 その布石が2月8日の軍事パレードだった。人民軍の創建日は、これまで1932年の4月25日(抗日遊撃隊創設日)だった。1945年10月10日の労働党創建日より早い。これでは、軍が党に従わない「先軍政治」が正当化される。現在の朝鮮人民軍の創建日は1948年2月8日で党の創設より3年も遅いから、「軍は党に従う」理論に合致する。

 これまで北朝鮮の権力構造は「党、軍、政府」といった順序で表現・報道された。ところが最近になって「党、政府、武力機関」と伝えるようになった。軍を「武力機関」と呼び、政府の後ろに置いたわけだ。これは、軍の地位と権限を明らかに格下げしている。

 また、金正日総書記の生誕記念日である2月16日、党と政府の幹部が遺体安置の宮殿に参拝した。そこには軍服姿がなかった。軍幹部を排除したのは初めてである。

 金正恩委員長は、軍の掌握を背景に、米朝対話に臨もうとしたようだ。この背景には、このまま国連や米国、日本による制裁が続けば、「今年後半から北朝鮮は危機に直面する」(韓国政府高官)との認識があるという。そうした事態に陥らないよう、6月までに南北首脳会談を実現し、米韓合同軍事演習を中止させ、開城工業団地を再開し、韓国からの支援を受け、制裁を緩和させたい――金正恩委員長はこう考えたにちがいない。

 文在寅大統領は、オリンピック大会を成功させた成果を誇示しつつ、大統領任期を1期5年から4年2期に延長する憲法改正に踏み切り、長期政権を狙う。

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