スイスのネスレはこの10月、メキシコのハリスコ州に子供向け栄養製品の新工場を開設した。同社の工場としてはメキシコで17箇所目となる。投資額は2億4500万ドル(約255億円)。子供向け栄養製品のカテゴリーで過去10年間で最大の投資になる。
この工場は、環境技術を幅広く採用している。電力の85%を風力や太陽光で賄い、排水は100%浄化する。特に注目すべきは水資源の保全で、ネスレは今、世界の工場で水の使用量を減らす革新的技術を積極的に導入している。同社が節水対策に投じた金額は、ここ10年間で累計約4億スイスフラン(約420億円)に達する。2015年は1940万スイスフランを投資した。
究極の節水工場といえるのが、製品の生産に使う水を地下水から一切取らない「取水ゼロ工場」だ。2014年にメキシコのハリスコ州にある乳製品工場で「取水ゼロ」を達成し、翌2015年には米国のカリフォルニア州にある工場に広げた。今後、水不足が懸念される国を中心に取水ゼロ工場を増やしていく考えである。
牛乳は水が8割
取水ゼロの中核を担うのが、チーズや練乳などの乳製品の原料に使う牛乳から水分を取り出す設備である。水蒸気として抽出して液体に戻した後、逆浸透膜を使ったろ過装置を通して生産工程で再利用する。牛乳の成分の約8割は水で、従来はその約半分が製品に使われずに捨てられていた。メキシコの乳製品工場では、この設備の導入によって、1日当たり約160万リットルの水を節約できる。高価な設備だが、メキシコは水の調達コストが高いため、早期に投資を回収できるという。
メキシコ・ハリスコ州にあるネスレの乳製品工場。地下水からの取水をゼロにする技術を導入した
メキシコの工場に続き、取水ゼロを達成した米カリフォルニアの工場
ネスレが節水に注力する理由はほかでもない。高品質の水を安定調達することが、食品を主力とする事業の成長に欠かせないからだ。「ヴィッテル」や「コントレックス」、「ペリエ」といったミネラルウオーターはもちろん、牛乳やコーヒー豆など同社が手掛ける製品の原料の生産には大量の水が必要になる。さらに、ココア味麦芽飲料の「ミロ」やインスタントコーヒーの「ネスカフェ」など、製品を消費する段階でも水が要る。大規模な干ばつなどが発生すれば、原料の調達や製品の販売で大きな打撃を受ける恐れがある。
気候変動や新興国の人口増加などの影響で、今後、水不足が深刻化することが予想される。2050年には、世界の人口の約4割が水を安定的に利用できなくなるとの予測もある。世界経済フォーラム(ダボス会議)が毎年公表する「グローバルリスク報告書」でも、「水危機」は今後10年間で影響が大きいリスクとして常に上位に挙がる(2015年1位、2016年3位)。ネスレは、事業を通じて社会課題の解決を目指す「CSV(共通価値の創造)」を提唱した企業として知られる。水資源の保全はCSVの柱の1つで、最も重要な経営課題に位置付ける。
「ミロ」「ネスカフェ」「キットカット」など、日本でもなじみのあるネスレの製品。世界で1日に10億個が売れている
ネスレの製品は今や、世界189カ国、1日に10億個が売れている。事業を展開する地域が広いことも、水リスクに敏感にならざるを得ない理由になっている。食品は国や地域の味覚や嗜好が大きく関わるため、消費地に近い場所に工場をつくる必要がある。その結果、メキシコや米カリフォルニアといった、既に水不足が顕在化している地域では、すぐ目の前にあるリスクとして対応を迫られている。
例えば、干ばつ被害が深刻なカリフォルニアでは、ネスレのミネラルウオーターの工場が操業を続けることに多くの住民が懸念を示したことがある。風評被害を抑えるためにも、節水を徹底している姿勢をアピールすることが重要になる。
「2020年までに全製品カテゴリーで製品1t当たりの取水量を全体で2010年比35%削減」「2016年までに優先順位の高い工場の100%で節水活動を実施」「2016年までにウォーター・リソース・レビュー(水リスク評価)を新たに45件実施」──。ネスレは、水資源に関するものだけでも多くの数値目標を掲げる。水リスク対応では、欧州のグローバル企業が先行しており、英蘭ユニリーバも水資源に関する中長期目標を複数掲げている。
小さな改善の積み重ねがイノベーションを生む
ネスレの節水対策は前述したような大きな設備投資だけではない。小さな改善も積み重ねている。例えば、クーリングタワー(冷却塔)で使う冷却水を何度も再利用する。通常、繰り返し再利用すると水が汚れて使えなくなるので、新しい水を足す必要がある。そこで汚れを処理する薬剤を投入することによって、再利用できる回数を増やした。
このほかにも、「漏水を直す」「空調のドレン(結露水)を再利用する」「カスケード利用をする(ある工程で使った水を別の工程で再利用する)」といった対策によって、全製品カテゴリーで製品1t当たりの取水量をここ10年間で41.2%削減している。ネスレ日本生産本部安全環境担当の平野泰宏課長は、「1997年から毎年4%ずつ節水してきた。新しいアイデアは年々、少なくなってきてはいるが、小さな改善を続けることが次のアイデアにつながる」と話す。
各工場で実施した節水対策は本社が一元管理し、効果的なものは全社で共有して水平展開している。同社マーケティング&コミュニケーションズ本部の冨田英樹ステークホルダーリレーションズ室長は、「海外の様々な地域に拠点があり、色々な対策を実施している。そのアイデアをグループ内で活用できるのが強み」と言う。
「量・質」「規制」「評判」の3つのリスクを評価
ネスレの節水活動のベースにあるのが、「ウォーター・リソース・レビュー」と呼ぶ水リスク評価である。節水では設備投資が必要になる場合があるため、世界に散らばる拠点で同時に対策を実施するのは効率的ではない。水リスクの高そうなところから順番に手をつけられるようにするのが、水リスク評価の目的だ。
評価するリスクは大きく3つある。水の量や質といった「物理的リスク」、排水規制などの「規制リスク」、地域住民から訴訟を起こされる恐れがあるかという「評判リスク」である。ネスレの水資源技術責任者を務めるカルロ・ガリ氏が、実際に現地を訪れて1週間ほどかけて徹底的に調べる。貯水池や井戸がどこにあるかなど工場の周辺をくまなく見て回り、水を採取して水質をチェックするほか、地域の住民にヒアリングして悪い噂がたっていないかを探る。2015年には15件の評価を実施した。2006年に開始してから累計148件に達する。今年は、新たに45件の調査を実施する計画である。
ネスレと違って日本でしか事業を展開していないという企業でも水リスクとは無縁ではない。原材料や部品を海外から調達しているケースは多く、生産地が水不足に悩んでいる可能性もある。最近は、NPOのCDPの影響もあって企業の水リスクへの対応に投資家や取引先の関心が高まっている。CDPは、運用資産額63兆ドルを有する643社の機関投資家を代表し、企業の水に対する取り組みをアンケートで調査している。各社の回答結果は公開しており、回答しない場合は「無回答」企業の一覧に社名が載るため、イメージの低下につながる恐れがある。
自社が事業を続けられなくなるリスクは潜んでいないか。企業はサプライチェーンにも目を配り、点検する必要があるだろう。
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