結局、2年間で4頭放して、そのうち野生に適応できたと考えられるのは1頭。残りの3頭のうち2頭が死に、1頭はふたたび保護された。単純に放流しただけではうまくいかないと分かったため、湖の半野生状態での緩衝期間を経てから、放すという方法に切り替えた。2009年から6年間かけて準備し、やっと新たな放流の目処が立った、ところなのである。

豊かなホワイトウォーターへ

「2009年のときもみんな言ってましたが、どこに放流するかがすごく難しくて。今回、放流する場所はかなりいいところを見つけられたと思っています。保護区域に設定されている場所で漁業制限があり、少人数の村人が暮らしいるのみで、観光客なども来ないため船の往来も少ないです。ここでは野生のマナティーもたくさん確認されてますし、ホワイトウォーターで餌植物も多い。さらに支流が多くて、乾期になっても干上がらない湖もたくさんあります。なので、放流マナティーにとっては、生きていきやすい場所だと思います」

 ホワイトウォーターというのは、文字通り白い水の意味だ。アマゾン川にはブラックウォーターとホワイトウォーターという区分があり、ブラックウォーターは酸性の水で栄養分が乏しく、溶け込んだ植物の色素で黒っぽく色づいている。一方で、ホワイトウォーターは上流の堆積物をふんだんに含んで白っぽく濁っており、栄養分が豊かだ。前回の放流はブラックウォーターだったため、乾季の餌植物が少なかった可能性もあるのだ。

 予定では2016年1月。本当にもうすぐ行われる放流の成功を祈らずに居られない。

 これまで、放流とさりげなく書いてきたけれど、これは、動物園・水族館の世界の言葉では「野生復帰」(reintroduction)と呼ばれる事業だ。一般に、「高等な」動物ほど、一度、人に飼育されると、野生復帰させるのが難しくなる。アマゾンマナティーの「放流」計画は、最初の「失敗」に学んで、今は格段に計画として洗練されたように見える。しかし、やはり、「野生復帰」の困難は、各方面にいくらでも実例があるので、慎重に慎重を重ねた上でも、さらに方法を洗練させていかなければならないだろう。

 私見だが、その鍵を握るのが菊池さんの研究だ。アマゾンマナティーとの出会いのインパクトがあまり大きかったことと、フィールドミュージアム構想など大きな背景があるために、ちょっと遠回りをしてしまったけれど、ここで、やっと菊池さん自身の研究に入っていける。

「科学の森」マナティーコーナーの一画。
「科学の森」マナティーコーナーの一画。

つづく

菊池夢美(きくち むみ)

1981年、東京生まれ。京都大学野生動物研究センター所属、プロジェクト研究員。東京大学大学院農学生命科学研究科博士課程修了。博士号(農学)取得。主にマナティーの行動研究を行っているが、その他にも南極のウェッデルアザラシ、イセエビ、魚の鳴音など、幅広いデータを扱ってきた。2007年よりブラジルの国立アマゾン研究所との共同研究を開始し、動物搭載型の記録装置を用いたアマゾンマナティーの行動把握のための手法開発を行なっている。2009年には保護したアマゾンマナティーを再び川へと放流する野生復帰事業に参加した。2016年1月、京都大学と国立アマゾン研究所の共同プロジェクト(SATREPS「“フィールドミュージアム”構想によるアマゾンの生物多様性保全」)により、7年ぶりにアマゾンマナティーの放流を実施予定。放流個体の野生への適応を評価することを目指している。マナティーについての研究をFacebookページにて公開中。「Study of manatees(マナティー研究)

川端裕人(かわばた ひろと)

1964年、兵庫県明石市生まれ。千葉県千葉市育ち。文筆家。小説作品に、少年たちの川をめぐる物語『川の名前』(ハヤカワ文庫JA)、天気を「よむ」不思議な能力をもつ一族をめぐる、壮大な“気象科学エンタメ”小説『雲の王』(集英社文庫)(『雲の王』特設サイトはこちら)、NHKでアニメ化された「銀河へキックオフ」の原作『銀河のワールドカップ』『風のダンデライオン 銀河のワールドカップ ガールズ』(ともに集英社文庫)など。近著は、『雲の王』と同じく空の一族の壮大な物語を描いた『天空の約束』(集英社)、ニュージーランドで小学校に通う兄妹の冒険を描いた『続・12月の夏休み──ケンタとミノリのつづきの冒険日記』(偕成社)。
本連載からは、「睡眠学」の回に書き下ろしと修正を加えてまとめたノンフィクション『8時間睡眠のウソ。 ――日本人の眠り、8つの新常識』(日経BP)、「昆虫学」「ロボット」「宇宙開発」などの研究室訪問を加筆修正した『「研究室」に行ってみた。』(ちくまプリマー新書)がスピンアウトしている。
ブログ「カワバタヒロトのブログ」。ツイッターアカウント@Rsider。2015年10月に有料メルマガ「秘密基地からハッシン!」を開始した。

(このコラムは、ナショナル ジオグラフィック日本版サイトに掲載した記事を再掲載したものです)

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