さて、ごわごわした感覚毛だが、鼻や口まわりにはびっしりはえているけれど、少し離れるとまばらになって、なくなってしまう。からだの他の部分はツルツルだ。でもよくよく見ると、別の種類の毛がはえているのがわかる。猫毛のように細いもので、これは体全体に散らばっている。黒いゴムみたいな体から、ムダ毛的にちょろちょろっと出ている。これも水流を感じ取る感覚毛なのだそうだ。

体全体に生えている毛は水流の感覚器官だ。

「解剖学的な特徴としては、横隔膜が体の腹側と背中側を区切るみたいに入っていて、背中側に肺があるんです。酸素ボンベ背負ってるような感じ。で、それを調節して、浮力調節をして、潜水艦みたいな上下運動をする能力があるという論文が出ていて、一般的にも言われてます。でも本当にその肺を使って浮力調節をしてるかどうかは、まだ検証されてないんです。彼らは呼吸しに上がってきた時も、水面で息を吐いて、また、吸い込んで、そのあとでズブズブって沈んでいく息ごらえ潜水なので、何らかの浮力調節はしていると思いますが」

 なんという人体の神秘! ではない、マナティーの体の神秘!

 こういう話を聞くと、このずんぐりした生き物が、にわかに高度な進化の造形物という印象が強くなる。人間のダイバーも、水中で目指すべきは、イルカやクジラではなく、マナティーやジュゴンかもしれない。背中に空気タンクを背負っている構造は、同じなのだ。これから、ダイバーは、マナティーセンパイ!と呼ぼう!(しかし、考えてみれば、ダイバーはタンクで浮力調整はできない。念のため)。

丸い尾びれに萌える

 そして、胸びれ、尾びれの話。

「──胸びれは、ちゃんと骨が入っているんですよ。人間で言えば、マナティーは肘が外に出ている状態です。これ、ジュゴンとは違う特徴です。ジュゴンは、肘が体の中に埋まっています。昔、カイギュウ類の解剖学をやっている人と話した時、だからマナティーの胸びれは、骨を見ても可動範囲が広くて、いろいろできそうなんだと感心されました。実際に、泳ぐためだけでなく、水中で水草なんかを器用に掴んで食べたりしますから」

「──尾びれは、ジュゴンとマナティーの違いを説明するのによく使います。ジュゴンの尾びれはイルカと似てますけど、マナティーのは丸い尾びれじゃないですか。ジュゴンは完全な海水適応種なので、尾びれは速く泳ぐのに適応しています。でも、マナティーは種によって海水にも淡水にも適応しています。浅い場所や狭いところに入り込むので、小回りをきかすほうが彼等にとってよかったみたいです。だから、パドル状の丸い尾びれ」

 実は、マナティーが好きな(日本では少ない)人たちにとって、この丸っこい尾びれの形状は「萌えポイント」の1つになっているらしい。その特徴が、浅くて狭い水域で役に立つものだったとは、言われてみれば合理的だ。水没した森林を泳ぐアマゾンマナィーにとっては、特にそうだ。

 以上、アマゾンマナティーという希少で神秘に満ちた動物を目の前に見つつ、これまた希少なアマゾンマナティー専門家、菊池夢美さんによる非常に贅沢な解説であった。

身体検査を終えたらまた湖へ。

つづく

菊池夢美(きくち むみ)

1981年、東京生まれ。京都大学野生動物研究センター所属、プロジェクト研究員。東京大学大学院農学生命科学研究科博士課程修了。博士号(農学)取得。主にマナティーの行動研究を行っているが、その他にも南極のウェッデルアザラシ、イセエビ、魚の鳴音など、幅広いデータを扱ってきた。2007年よりブラジルの国立アマゾン研究所との共同研究を開始し、動物搭載型の記録装置を用いたアマゾンマナティーの行動把握のための手法開発を行なっている。2009年には保護したアマゾンマナティーを再び川へと放流する野生復帰事業に参加した。2016年1月、京都大学と国立アマゾン研究所の共同プロジェクト(SATREPS「“フィールドミュージアム”構想によるアマゾンの生物多様性保全」)により、7年ぶりにアマゾンマナティーの放流を実施予定。放流個体の野生への適応を評価することを目指している。マナティーについての研究をFacebookページにて公開中。「Study of manatees(マナティー研究)

川端裕人(かわばた ひろと)

1964年、兵庫県明石市生まれ。千葉県千葉市育ち。文筆家。小説作品に、少年たちの川をめぐる物語『川の名前』(ハヤカワ文庫JA)、天気を「よむ」不思議な能力をもつ一族をめぐる、壮大な“気象科学エンタメ”小説『雲の王』(集英社文庫)(『雲の王』特設サイトはこちら)、NHKでアニメ化された「銀河へキックオフ」の原作『銀河のワールドカップ』『風のダンデライオン 銀河のワールドカップ ガールズ』(ともに集英社文庫)など。近著は、『雲の王』と同じく空の一族の壮大な物語を描いた『天空の約束』(集英社)、ニュージーランドで小学校に通う兄妹の冒険を描いた『続・12月の夏休み──ケンタとミノリのつづきの冒険日記』(偕成社)。
本連載からは、「睡眠学」の回に書き下ろしと修正を加えてまとめたノンフィクション『8時間睡眠のウソ。 ――日本人の眠り、8つの新常識』(日経BP)、「昆虫学」「ロボット」「宇宙開発」などの研究室訪問を加筆修正した『「研究室」に行ってみた。』(ちくまプリマー新書)がスピンアウトしている。
ブログ「カワバタヒロトのブログ」。ツイッターアカウント@Rsider。2015年10月に有料メルマガ「秘密基地からハッシン!」を開始した。

(このコラムは、ナショナル ジオグラフィック日本版サイトに掲載した記事を再掲載したものです)