宮下さんがここで注目しているのは、発生の際に関節を作るのに作用するBapx1という遺伝子だ。発生を調節するホメオボックス遺伝子の一種で、これがないと顎関節ができない。ホメオボックス遺伝子はとても保守的で、Bapx1は顎がないヤツメウナギにもヌタウナギにもある。何か発生の際に別の役割を持っているはずだが、その役割は今のところ見えない。少なくとも、筋肉には発現せず、筋肉が顎関節の起源であるという説はあやしい、という見立てになる。「ムコ軟骨説」と「軟骨と血洞説」の決着はついていない。
以上、宮下さんの博士論文の「3本の矢」をとても駆け足で紹介した。
ディテールについてはかなり省略せざるを得なかったが、ここでぼくが知ってほしいのは、細部よりは大きな景観だ。
恐竜を入り口にしてカナダに渡った「恐竜少年」が、豊富な標本とフィールド、そして、導いてくれる師に恵まれ、もちろん本人のあふれんばかりの情熱に駆動されて、研究のキャリアを若年でスタートさせた。そして、博士研究の時点で恐竜だけに収まらないもっと大きな景観を頭のなかに思い描くようになった。
とても楽しみではないか。

「脊椎動物のボディプランの起源」というのは、ぼくがここでさわりを書いただけではまったく伝わる気がしないほど奥深いテーマで、宮下さんは今、研究者として探求の扉をノックしている段階である。そう簡単に納得がいく結論に到達できないはずだし、ライフワークになってもおかしくない。ライフワークにしても解き明かせるとは限らない。
しかし、高校生でカナダに渡って以来、思い定めたものをひとつひとつクリアしてきた馬力と視野の広さと思いの深さを知る者として、何か突破口を開いてくれるのではと期待してやまない。
そして、いずれ、やはり恐竜研究にも戻ってきてほしい。
なにしろフィリップ・カリー博士との約束でもあるダスプレトサウルスのモノグラフも未完成のままではないか!
博士論文のテーマを経て、また自分自身が設定するハードルが上がった後で、どんなアプローチが可能だろう。
宮下さんの目がきらりと光った。
「あ、実はそれは考えているんです。今の自分の時点でこういう研究をしているんであれば、おそらく、ダスプレトサウルスについてある程度の斬新な試みができると思うんですよ。恐竜って、今生きているワニとニワトリの間に挟み込まれたような存在ですからね」
この話を聞いた時、ぼくは頭のなかにスパークが走った。
ワニとニワトリの間に挟み込まれたというのは、系統としてはまさにそうだ。ワニは恐竜と共通祖先を持ち、鳥類はダスプレトサウルスが属する獣脚類から進化した。
でも、宮下さんが言っているのは、もっと野心的なことだ。
恐竜は絶滅したけれど、ワニもニワトリも、今生きている。ということは、遺伝子を見ることもできるし、発生を追うこともできる。CRISPR-Cas9を使ってワニやニワトリを研究すれば、それは間に挟まれた巨大な獣脚類についての知見にもつながりうる。
ダスプレトサウルスの遺伝子と形質について語る章が、宮下さんが書くモノグラフには設けられるかもしれない!
先は長い。楽しみに待っている。
ただし、ぼくや日本の古くからの恐竜ファンや上の世代の研究者や、もちろんフィリップ・カリー博士が元気なうちによろしく!

おわり
(このコラムは、ナショナル ジオグラフィック日本版サイトに掲載した記事を再掲載したものです)
本連載からは、「睡眠学」の回に書き下ろしと修正を加えてまとめたノンフィクション『8時間睡眠のウソ。 日本人の眠り、8つの新常識』(集英社文庫)、宇宙論研究の最前線で活躍する天文学者小松英一郎氏との共著『宇宙の始まり、そして終わり』(日経プレミアシリーズ)がスピンアウトしている。
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