宮下さんがここで注目しているのは、発生の際に関節を作るのに作用するBapx1という遺伝子だ。発生を調節するホメオボックス遺伝子の一種で、これがないと顎関節ができない。ホメオボックス遺伝子はとても保守的で、Bapx1は顎がないヤツメウナギにもヌタウナギにもある。何か発生の際に別の役割を持っているはずだが、その役割は今のところ見えない。少なくとも、筋肉には発現せず、筋肉が顎関節の起源であるという説はあやしい、という見立てになる。「ムコ軟骨説」と「軟骨と血洞説」の決着はついていない。

 以上、宮下さんの博士論文の「3本の矢」をとても駆け足で紹介した。

 ディテールについてはかなり省略せざるを得なかったが、ここでぼくが知ってほしいのは、細部よりは大きな景観だ。

 恐竜を入り口にしてカナダに渡った「恐竜少年」が、豊富な標本とフィールド、そして、導いてくれる師に恵まれ、もちろん本人のあふれんばかりの情熱に駆動されて、研究のキャリアを若年でスタートさせた。そして、博士研究の時点で恐竜だけに収まらないもっと大きな景観を頭のなかに思い描くようになった。

 とても楽しみではないか。

国立科学博物館の魚の化石を前で、その進化の不思議について説明してくれた。宮下さんは2016年夏に開催された特別展「海のハンター展」の脊椎動物の顎の進化の展示にも協力していた。(撮影協力:国立科学博物館)

「脊椎動物のボディプランの起源」というのは、ぼくがここでさわりを書いただけではまったく伝わる気がしないほど奥深いテーマで、宮下さんは今、研究者として探求の扉をノックしている段階である。そう簡単に納得がいく結論に到達できないはずだし、ライフワークになってもおかしくない。ライフワークにしても解き明かせるとは限らない。

 しかし、高校生でカナダに渡って以来、思い定めたものをひとつひとつクリアしてきた馬力と視野の広さと思いの深さを知る者として、何か突破口を開いてくれるのではと期待してやまない。

 そして、いずれ、やはり恐竜研究にも戻ってきてほしい。

 なにしろフィリップ・カリー博士との約束でもあるダスプレトサウルスのモノグラフも未完成のままではないか!

 博士論文のテーマを経て、また自分自身が設定するハードルが上がった後で、どんなアプローチが可能だろう。

 宮下さんの目がきらりと光った。

「あ、実はそれは考えているんです。今の自分の時点でこういう研究をしているんであれば、おそらく、ダスプレトサウルスについてある程度の斬新な試みができると思うんですよ。恐竜って、今生きているワニとニワトリの間に挟み込まれたような存在ですからね」

 この話を聞いた時、ぼくは頭のなかにスパークが走った。

 ワニとニワトリの間に挟み込まれたというのは、系統としてはまさにそうだ。ワニは恐竜と共通祖先を持ち、鳥類はダスプレトサウルスが属する獣脚類から進化した。

 でも、宮下さんが言っているのは、もっと野心的なことだ。

 恐竜は絶滅したけれど、ワニもニワトリも、今生きている。ということは、遺伝子を見ることもできるし、発生を追うこともできる。CRISPR-Cas9を使ってワニやニワトリを研究すれば、それは間に挟まれた巨大な獣脚類についての知見にもつながりうる。

 ダスプレトサウルスの遺伝子と形質について語る章が、宮下さんが書くモノグラフには設けられるかもしれない!

 先は長い。楽しみに待っている。

 ただし、ぼくや日本の古くからの恐竜ファンや上の世代の研究者や、もちろんフィリップ・カリー博士が元気なうちによろしく!

2017年11月にアルバータ大学で行われた博士論文審査会の口頭試問にて。中央の宮下さんの向かって右隣に立つ人物がフィリップ・カリー博士だ。

おわり

(このコラムは、ナショナル ジオグラフィック日本版サイトに掲載した記事を再掲載したものです)

宮下哲人(みやした てつと)
1986年、東京都生まれ。博士(Ph.D)。2009年、カナダ、アルバータ大学を卒業。2017年、同大学で博士号を取得。2018年にアメリカ、カリフォルニア州の某大学に研究員として着任予定。恐竜好きが高じて16歳で単身カナダに移り住み、当時ロイヤル・ティレル古生物博物館の学芸員だったフィリップ・カリー博士のアシスタントとして学生時代を過ごす。近年は脊椎動物の進化を主なテーマとし、古生物学と発生生物学の両面から研究を行なっている。
川端裕人(かわばた ひろと)
1964年、兵庫県明石市生まれ。千葉県千葉市育ち。文筆家。小説作品に、『川の名前』(ハヤカワ文庫JA)、『雲の王』(集英社文庫)、NHKでアニメ化された「銀河へキックオフ」の原作『銀河のワールドカップ』(集英社文庫)など。近著は、ロケット発射場のある島で一年を過ごす小学校6年生の少年が、島の豊かな自然を体験しつつ、どこまでも遠くに行く宇宙機を打ち上げる『青い海の宇宙港 春夏篇秋冬篇』(早川書房)。また、『動物園にできること』(第3版)がBCCKSにより待望の復刊を果たした。
本連載からは、「睡眠学」の回に書き下ろしと修正を加えてまとめたノンフィクション『8時間睡眠のウソ。 日本人の眠り、8つの新常識』(集英社文庫)、宇宙論研究の最前線で活躍する天文学者小松英一郎氏との共著『宇宙の始まり、そして終わり』(日経プレミアシリーズ)がスピンアウトしている。
ブログ「カワバタヒロトのブログ」。ツイッターアカウント@Rsider。有料メルマガ「秘密基地からハッシン!」を配信中。