久世さんは、セピロクの記録を調べ、また、みずから観察し、さらに、ほかのリハビリセンター、そして、この頃出始めていた野生での繁殖のデータをつきあわせて、考察した。マレーシアやインドネシアにあるリハビリセンターでの乳児死亡率は、どこでも非常に高く、共通の問題であることが分かった。出産間隔などの繁殖パラメーターも横断的に比較して、のちの議論の土台を作った。

感染症リスク

 目下のところ、死亡率の高さの原因として挙げられているのは、感染症リスクだ。リハビリセンターでの人間(スタッフ、ボランティア、観光客)との過度な身体接触、野生よりも高いオランウータンの生息密度、給餌場所で他個体との接触頻度が高いこと、などが感染症にかかる頻度を上げているかもしれない。乳児の死亡原因を特定できない場合がほとんどなので、あくまでも推測なのだが、リハビリセンターでの飼育や繁殖のあり方を再考するきっかけとなった。今後改善が期待される。なお、オスが生まれない件については、今なおミステリーだ。

 一方、野生の調査に進んだ久世さんは、繁殖の研究を中心的な課題に据えた。リハビリセンターの研究の流れから、ごく自然にそうなった。その時点で、他のリハビリセンターはもちろんのこと、野生の調査地でのデータも次第に論文として公開されるようになっていたことから、機が熟していたとも言えそうだ。「10年やってなんぼ」の野生オランウータン研究の世界で、いくつかのグループがようやく成果を論文としてアウトプットできるところまで到達し、繁殖生態が、オランウータン学の共通のテーマとして前景化してきた、と。

 前にも述べた、スマトラとボルネオでの繁殖間隔の違い(栄養状態のよいスマトラの方が長い)が、オランウータンの「少子化」志向の戦略を示しているのではないか、とか、研究者コミュニティの中でも、興味深いテーマとして語られるようになってきた。つまり、久世さんの研究は、21世紀のオランウータン学の流れに棹さしたものでもある。

「なんでそこまでやるの?」というくらい情熱を傾ける久世さんは、オランウータンの調査研究支援や啓蒙活動を行う「日本オランウータン・リサーチセンター」の事務局長を兼務し、講演活動なども行っている。

つづく

久世濃子(くぜ のうこ)

1976年、東京都生まれ。国立科学博物館 人類研究部 日本学術振興会特別研究員。理学博士。日本オランウータン・リサーチセンター事務局長。1999年3月、東京農工大学農学部地域生態システム学科卒業。同年4月、東京工業大学命理工学研究科に入学してオランウータンの行動や生態を研究し、2005年9月に博士号を取得。京都大学野生動物研究センターの研究員などを経て、2013年4月から国立科学博物館人類研究部に所属。著書に『オランウータンってどんな『ヒト』?』(あさがく選書)、共著に『セックスの人類学』(春風社)、『女も男もフィールドへ(FENICS 100万人のフィールドワーカーシリーズ12)』『フィールドノート古今東西(FENICS 100万人のフィールドワーカーシリーズ13) 』(共に古今書院)などがある。

川端裕人(かわばた ひろと)

1964年、兵庫県明石市生まれ。千葉県千葉市育ち。文筆家。小説作品に、少年たちの川をめぐる物語『川の名前』(ハヤカワ文庫JA)、天気を「よむ」不思議な能力をもつ一族をめぐる壮大な“気象科学エンタメ”小説『雲の王』(集英社文庫)『天空の約束』、NHKでアニメ化された「銀河へキックオフ」の原作『銀河のワールドカップ』『風のダンデライオン 銀河のワールドカップ ガールズ』(ともに集英社文庫)など。近著は、知っているようで知らない声優たちの世界に光をあてたリアルな青春お仕事小説『声のお仕事』(文藝春秋)と、ロケット発射場のある島で一年を過ごす小学校6年生の少年が、島の豊かな自然を体験しつつ、夏休みのロケット競技会に参加する模様を描いた成長物語『青い海の宇宙港 春夏篇』『青い海の宇宙港 秋冬篇』(早川書房)。
本連載からは、「睡眠学」の回に書き下ろしと修正を加えてまとめたノンフィクション『8時間睡眠のウソ。 ――日本人の眠り、8つの新常識』(日経BP)、「昆虫学」「ロボット」「宇宙開発」などの研究室訪問を加筆修正した『「研究室」に行ってみた。』(ちくまプリマー新書)、宇宙論研究の最前線で活躍する天文学者小松英一郎氏との共著『宇宙の始まり、そして終わり』(日経プレミアシリーズ)がスピンアウトしている。
ブログ「カワバタヒロトのブログ」。ツイッターアカウント@Rsider。有料メルマガ「秘密基地からハッシン!」を配信中。