それなのに、やはり、ヒト科に分類され、系統的にもヒトと最近分岐したばかりのきょうだい、いとこのような存在である。遺伝的には近いのに、生活はかけ離れている、という意味で、特別感がある。
ヒトを映す鏡
もっとも、「近いのに、違う」というのは、程度の差こそあれ、ほかの大型類人猿でもそうだ。そして、そのような存在だからこそ、常にヒトを映す鏡のようにも扱われる。
例えば、チンパンジー。日本が誇る霊長類学者の1人、松沢哲郎さん(京都大学高等研究院・特別教授、京都大学霊長類研究所・兼任教授)は、チンパンジー研究を通じて人間の「心」の進化を論じてきた。一般書でも、『想像するちから チンパンジーが教えてくれた人間の心』(2011年、岩波書店)などで、「チンパンジーを通した人間論」を読むことができる。大型類人猿の研究は、対象を深く知れば知るほど、ヒト、人間に戻ってくる部分が大きい。自分たちにばかり引きつけて考えるのはどうかとも思うけれど、「合わせ鏡」なのだから、そういう部分は必ず出てくる。
では、オランウータンについては、どんな部分が「合わせ鏡」になりうるだろうか。「木の上でお一人様」な生き物が、ぼくたちに投げかけてくれるものとは。すごく先走っているのは分かっているが、そのあたりの見通しを知りたい。
ひょっとして、久世さんを困惑させる質問になりかねないと思っていたのだが、なんの迷いもなく回答があった。
「まず、少子化、ですかね」と。
少子化、ですか? と問い返した。かなり意外な回答だ。
Powered by リゾーム?