2000年代の東京大学駒場キャンパスから話は始まる。

「ぼくは高校生ぐらいのときからメディアアートが大好きで、岩井俊雄さんという日本を代表するメディアアーティストをすごく尊敬していたんです。その岩井さんがある日、駒場を歩いていて、ぼくもよく気づいたなと思うんですけど、『岩井さんですよね』って声をかけました。その年、駒場の先端研の客員で来られたんだと分かって、それで岩井先生のところに何回か遊びに行ったんですが、岩井先生を東大に呼んだのが、今のぼくのボスの廣瀬通孝先生だったんですよ。廣瀬先生は、視覚や聴覚だけではなくて五感をすべて出せるVRを研究しているということで、岩井先生がメディアアートで培ってきたことを生かせるかコラボレーションしてるっていうんです。おもしろいなと思って、そのままいろいろ一緒にプロジェクトをやっていたら、研究室に入ってしまったという感じです」

 岩井俊雄さんは、日本のメディアアートのパイオニアで、特にCGを駆使した作品で知られる。ぼくは、1992年に始まったテレビ番組「ウゴウゴルーガ」のCG製作者として、はじめて名前に触れた気がする。21世紀になってからは、自分の子どもの小学校で読み聞かせ活動をしていたとき、『100かいだてのいえ』という縦長の斬新な絵本に度肝を抜かれた。紙の特性を活かして、これまでにない媒体(メディア)を提案しているという点で、やはり岩井さんはメディアアーティストだと感じた。

 さて、鳴海さんは岩井さんとの偶然の遭遇で今へつながる道を見つけたわけだが、実は少しだけ迷うところがあったそうだ。

「人のことを知るというのにすごく興味があったので、認知科学みたいな学科にいくのか、それとも何か新しいものを作り出す工学的なところにいくのか悩んでいたんです。でも、理解して人に伝えるより、作って体験して、頭じゃなくて体で分かることが大事だなとも思っていて。つまり、科学的に研究して『人ってこういうふうになってますよ』って言葉で説明しても知識としてしか分からないし、人種差別ってのはよくないですよねみたいなことを言っても、体験したことがないと本当には分からない。それで、自分は何かを作って体験してもらう方かなというのはありました」

 理解する専門家(サイエンティスト)よりも、作り出す専門家(エンジニア)へ。そういう選択を鳴海さんは、この時点で自覚的に行った。これは結構重要なことのように思う。

 ちなみに、ぼくは最近、「理系か文系」といったことよりも、サイエンス(科学)かエンジニアリング(工学)かの方が、区分として大事な局面が多いと思うことがよくある。なお、私見だが「文系」にも科学と工学の違いはあって、「社会科学」や「人文科学」がサイエンスを名乗る一方で、法学や経営学といったものはこの社会(あるいは「会社」を)をよりよく、円滑にまわすための工学だともいえる。

鳴海さんの研究室は、機材や道具がたくさんあっていかにも工学部ふうだ。