ぼくは、鳴海さんの名前と研究を、前の年(2016年)、ウェブのニュース記事で読んで知っていた。その時話題になっていたのは、「無限回廊(Unlimited Corridor)」だ。今、巷で流行中のHMD(ヘッドマウントディスプレイ)を頭部に装着するタイプのVRで、狭い空間でもあたかも無限に歩き続けられるように感じさせることができる仕組みだった。実際には直径5メートルほどの円柱型の壁に手を触れながら歩いているのだが、HMDに呈示する画像を工夫することで、意識の上ではまっすぐに感じるようにできるのだという。今のVRコンテンツは、移動の制約から、座って楽しむものが多く、せっかく視覚と聴覚は没入しているのに、体は動かせないのは不自由だ。その点を解決するための仕掛けだとぼくはその時は理解していた。
今回、体験した「無限階段」は、その延長にある研究だ。
HMDを着けて、実在しない階段を登っていく。実在しないのに、感覚としては登っており、それこそ体力が続くならば月にまで行けそうだった。
一方、HMDを外してみると、目の前にあるのは、床の上に放射状につけられた突起だけだ。ここをぐるぐる歩いていたわけで、まったく上昇していたわけではない。それなのに、ぼくは、一歩一歩、踏みしめて登っていると感じていた。
HMDのヘッドセットを通じての映像や音響とはまったく違う仕掛けで、「登る」という運動の感覚が、まぎれもない本物として頭の中にくっきりと立ち現れた。
鳴海さんが簡単に仕掛けを紹介してくれた。
「階段のエッジにあたるところだけ、ちょっと突起をつけておくと、それを踏んだときに本当に階段があるように感じて、上昇したり下降したりする感覚を作ることができるんです。人間の感覚って、圧倒的に視覚・聴覚優位だとされていますけど、感覚間の相互作用を利用してこういったことができます。クロスモーダル、といいます。今のところ、登るほうはうまくいっていますが、下る方は人によっては下っているように感じられない人もいるので、それを解決しようとしています」

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